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いつも静かな場所

🎐202x夏🎆

1 雨の公園

 

長崎に旅行したときに買った一輪挿し。娘はそれがお気に入りみたいで、しょっちゅう眺めている。彼女はガラスとかビー玉とか透き通ったものが好きらしい。それ、ユイにあげようか、と僕が言うと、娘は目を輝かせて僕を見上げ、本当、と言った。本当だよ。あげるよ。そんなに気に入ったんなら。

ユイはひとしきり喜び、僕の首に抱きついてきた。彼女は幼いのにどこで学んだのか、そういうアメリカ人みたいな仕草を時々する。その勢いで、ユイの腕が当たって窓枠の上の一輪挿しは倒れて、床が水びたしになった。それで僕らはしばらくその片づけをした。娘はそれなりに悪びれた様子だったが、床を水浸しにしてしまったことよりも一輪挿しが割れずに無事だったことを喜んでいるらしく、ほとんど笑っていた。娘は濡れたカーペットと壁をティッシュで拭いていたが、突然その作業に飽きたみたいに手を止め、ねえ、どっか行かんの?と言った。僕は花を一輪挿しに元通りにおさめ、でも雨だからなあ、と言った。すると娘は、そうよ、だから早く行こうよ、と言った。

つまり娘は雨降りが好きなのだ。レインコートとか傘とか長靴とかそういったものを身に着けて雨の中を出かけて水びたしになるのが好きなのだ。だから、雨だから遊びに行こうという一見矛盾した提案が出てくる。

仕事が終わったらね、と僕は言った。じゃあ、ちゃっちゃと終わらせてよ、と娘は言って、廊下をパタパタと駆けてどこかに消えて行った。

椅子に座り、コンピュータのディスプレイを見つめる。娘にはああ言ったものの、やるべき仕事など実際はもうほとんど残っていない。数分ほど、僕は意味もなくマウスを動かしたり、画面を切り替えたりした。部屋には雨音が響いていて、それは大きくなったり、そうかと思えばほとんど聞こえなくなったりする。窓の外の空は雲に覆われて、その色は灰色というよりほとんど黒ずんでいて、もっと激しく降りだしてもおかしくない感じだった。そうやってしばらくぼんやりするうち、僕は、そうだ、今日のブログは雨について書こう、と思った。雨にまつわる思い出話、いや、それとも雨をテーマにした適当な作り話、あるいは単に、雨の中で遊ぶ娘のことを書こうか……また娘が部屋にやって来て、早く行こうとせかした。それで僕らは出かけることになった。

 

娘は水色のレインコートを着て長靴を履き、僕は傘をさして、並んで歩く。途中娘は水たまりを見かけるたびに長靴でそれを踏み、ひとしきり水と戯れて遊んだ。特に気に入った水たまりからは何分も離れない。だから目的地になかなかつかない。ユイは僕にも水たまりに入るよう勧めたが、僕は長靴を履いていないのでできなかった。でも確かにその遊びは楽しそうで、見ていると僕も同じことがやりたくならないわけでもなかった。子供の頃は僕も同じことをやった。それに僕の子供のころは、家の前の道路は舗装されていない砂利道で、つまり水たまりはふんだんにあった。その話をすると、ユイはうらやましがった。たくさん水たまりがあって楽しそうだと言うのだ。でもそんなに良いものではなかった。泥だらけになるし、車で走るとタイヤが地面のくぼみにはまってがたがた揺れる。

 

雨の公園は無人だった。ユイはそこでもやはり水たまりに入って遊んだ。全部の水たまりを征服するんよ、と娘は言った。聞き間違いかと思って一度聞き返したのだが、彼女は確かに「征服」という言葉を使った。もっとも彼女の言う征服とは、そこにあるすべての水たまりに足を踏み入れる、といった程度のことである。ユイは楽しくて仕方ないらしくしきりに悲鳴みたいな笑い声を上げる。その様子を見ていると、またしても僕はちょっとやってみたくなる。それにしても、最後に長靴を履いたのは、いつのことだっただろう?……僕は遊ぶユイの姿をスマートフォンのカメラで撮影した。

公園のそばには線路が通っていて、電車が通りかかるたびにユイは立ち止まり、乗客に向けて手を振っていた。娘に促されて僕も一緒に手を振った。何人かの乗客が手を振り返してくれた。雨はひたすら降り続いていた。そしてユイは最終的にすべての水たまりを征服した。つまりすべての水たまりを踏んだのだった。でもそれほど広い公園でもなかったのでそれはわりとすぐに終わった。夕方前に僕らは帰宅した。

 

2 海へ行く約束

 

土曜日には妻が息子のケイを病院に連れて行っていた。息子は急に熱を出して、コロナじゃないかと僕たちは心配してなおかつ怯えていたのだったが、風邪だということだったので安心した。ケイは寝相がとても悪く、すぐ掛け布団をどこかにやってしまうからそのせいで風邪をひいたのだと、長女のユイは分析していた。今日家族でキッチンで親戚から送られてきたカステラを食べていたとき、ユイがだしぬけに海のことを話しはじめ、そのあと話題は海水浴とか海とか泳ぐこととか、そうしたものに占められてしまい、何だかわからない間に、近いうちに家族で海水浴に行くことはすでに決定事項になったかのように話が進んでいて、僕も妻もたぶん戸惑っていたが、二人とも別に海が嫌いなわけでもなかったので、特に異議を申し立てるでもなかった。そういうとき、何だか目に見えない力によって話が勝手にある方向へ導かれているみたいな気がする。その日の午後の団らんの席において見えない力を操っていたのは間違いなく娘のユイだった。彼女が海について語るのを聞くうち、僕も妻もだんだん海で泳ぎたい気持ちが高じてきて、それでいつの間にか、海水浴へ出かける具体的な日取りまで決まっていたのだった。

ところで幼稚園生である息子のケイはまだ泳げない。彼は水が苦手なのだ。妻の話では、幼稚園でのプールの授業のとき水に入るのを拒んで大泣きして先生から逃げ回ったということだった。ケイが泳げないことについて、妻と娘は非常な問題だと感じているらしかったが、僕は幼いころ、自分も水泳の授業が嫌いだったことを思い出して、ついケイに同情してしまうのだった。それで僕が、海に行くときにはケイのために浮き輪を買ってあげようと言うと、娘が反対した。浮き輪なんかに頼っていたら泳げなくなる、このさき泳げないことはきっとケイにとって不利になる、浮き輪なんかで甘やかしてはならない、と彼女は主張する。

まだ少し熱があって眠っているケイは、この議論の一切に参加していない。一度寝室に様子を見に行くと、確かにユイが言っていた通り、掛け布団はベッドからずいぶん遠いところに落ちていた。

 

3 個人ブログを読むこと/書くこと

 

昔はよく個人ブログを読んでいた。2008年とか2009年ごろのこと。赤の他人の見ず知らずの人たちによるいろんなブログを、RSSリーダーに登録して読んでいた。

ただの平凡な日記みたいなブログから、専門的な技術ブログまで、いろんなブログがあった。

今は以前ほど熱心に他人のブログを読んだりはしないが、それは面白いブログが減ったこともあるし、ブログという表現を選ぶ人が少なくなったからでもある。人々はより手軽なSNSに流れてしまった。

 

好きだったブログも今では更新が途絶えたりページが消滅したりしているが、現在でも閲覧可能なものは、ときどき読み返すことがある。懐かしいブログを眺めつつ思うのは、当時シニカルで冷笑的な人たちが馬鹿にしていたほど、ブログという表現手段は悪くないし、無意味でも無価値でもないということだった。

ブログにはその時代を生きていた人々のリアルな言葉や感情や生活の断片が刻まれている。人々は文章や写真をブログに投稿しながら、彼らにとっての「現在」を、インターネットに残した。だから僕はそれらを読み返すとき過去に帰ることができる。2008年のブログを読むときには2008年に帰っている。僕は当時の空気を呼吸しているし、その頃に起きた個人的な出来事とか、ある気分とか、ある雰囲気とかを思い出したりする。タイムトラベルと同じだ。そのことは一つの価値だと思う。

現在隆盛を極めているSNSにはそうしたことは基本的にできない。SNSに投稿される無名の人々の様々な声や思いは、あまりにも刹那的ですぐに流れ去ってしまい、残ることがまずない。アーカイヴ性にも乏しい。そして手軽であるがゆえに切実さにも欠けている感じがする。だから僕はやはりブログのほうが好きなのだった。

 

4 💎父について

 

部屋のスピーカーから音楽が流れる。ジョルジ・リゲティの『ロンターノ』。ハルはその曲を聴くと父を思い出す。そして同時に、父がいつも四六時中ひっきりなしに吸っていた煙草の煙の匂いも。父の部屋ではいつも煙がもうもうと立ち込めていて、そしてたいていこの音楽が響いていた。

父は会社員だった。そして会社で働くという行為に、尋常ではない情熱を抱いていた。毎朝決まった時刻に出かけ、決まった時刻に帰宅する。そのサイクルを崩すことなく定年まで勤めあげた。父はその生活を愛していたのだ。そうだ、あの男はそんな生活を飽きもせず何十年も繰り返して、ただの一度も不満を覚えたことがないに違いない。いや、それは単なる自分の印象ではない。実際に父はそうしたことを口にしていなかったか。会社に通うのは楽しい、毎日決まったとおりのことをするのが好きなんだよ、それは楽しいし心地よいことだよ、いつだったか、父はそんな風に言ったことがあったはずだ。

 

ハルは父のそんな生き方にあこがれたことは一度もない。会社勤めとは地獄のようなもので自分には耐え難いだろう、と幼いころから漠然と感じていた。自分は父の性質を全然受け継がなかったとハルは思う。無自覚に父の生き方に反発していたのかもしれない。父親とは仲が悪いわけではなかったが、とくに親密でもなかった。もし赤の他人だったら、父は自分にとって嫌いな種類の大人だったのではないか、という気がする。

はっきりと嫌いだったと言い切れるのは、父が吸う煙草の煙の匂いだけだ。父は極端な愛煙家で、どこでもことあるごとにひっきりなしに煙草を吸った。父の身体にも髪の毛にも衣服にもすべてが煙草の匂いが染みついていた。部屋にあるすべてが灰をかぶり脂の色に汚れていた。父は定められた運命を律儀に辿るように肺癌を患って死んだのだが、癌を宣告されたあとでも喫煙をやめようとしなかったし、死ぬまで吸い続ける、と家族や医者の前で宣言したりもした。

「煙草を吸う人間が、世界で自分一人だけになったとしても、吸い続けるよ」と父はよく言っていた。彼は明らかにその台詞を気に入っていた。ずっと後になって、ハルは別の何人かの喫煙者が同じ意味の台詞を発するのを聞いた。彼らもまた父と同じように、その言葉を口にするとき、どこか満足げで、誇らしげで、自己陶酔的な気分でいるようだった。そのことは声の感じから伝わってきた。そのときハルは、喫煙者というのは喫煙という行為に、ある種のロマンを抱いているのだろうか、と思った。

 

父は苦しみながら死んだ。病室のベッドに横たわった父は人間というより干からびた粘土細工のようだったし、ひっきりなしに胸を上下させて酸素を得ようとしていたがうまくできずに、ときどき乾いた咳をするばかりだった。目にはめったに見慣れない色が、つまり絶望と恐怖の色が浮かんでいた。父の肺は救いがたく蝕まれていたのでもし癌にならなかったとしてもろくなことにはならなかっただろうと医師からお墨付きをもらったほどだった。苦しみがそれほど長く続かなかったことは父にとって幸いだった。彼は夜中に死んだ。そのとき、ハルは病室にいなかった。

父はけっこうな額の遺産と、灰にまみれた書物とCDとを残した。『ロンターノ』が収録されたリゲティのCDは遺品の一つである。今日、ハルはその曲を繰り返して3度聴いた。

なぜ彼はこんなよくわからない曲(とハルには思える)を、あんなに気に入って何度も聴いていたのか?

 

ハルの父に対する無意識化の反発心は今も続いている。煙草は一度も吸ったことがないし、通勤する必要のある職業は選ばなかった。

 

5 線を引くこと

 

その日、仕事は芳しく進まなかった。僕は規則正しく仕事をするたちなので、そうしたことは珍しい。大きく調子を崩すといったことがない。進捗の具合も規則正しいのだ。毎日規定の分量の仕事をこなす。僕は電化製品のマニュアルや機械製品に付属するマニュアルに記載されるイラストを制作する仕事をしている。美術大学を卒業したあとからずっとその仕事をしている。開業してしばらくは、仕事の依頼などろくになく、親からの経済的援助を当てにしたり、簡単なアルバイトをしながら、ただ絵を描いているだけの日々だったが、技術が評価されてだんだん仕事は増えていった。

僕は仕事を中止し、定規を手に取る。そしてそれを使って絵を描きはじめた。誰に見せるあてもなく自分のために絵を描くとき、僕はいつも定規を使う。幼い頃から僕はいつも定規を片手に絵を描いていた。曲線は不要なものだった。機械的な直線ばかりに惹かれ、人間的なフリーハンドの線に魅力を覚えなかった。

 

学校の授業で絵を描くときでさえ僕は定規を用いた。でもそのやり方を許容する教師はいなかった。図工の授業で、一枚の風景画をすべて定規で描いて仕上げたとき、教師は僕のやり方を批判した。批判というより、あのとき教師はほとんど激怒していたのではないかと思う。彼は感情をあらわにしないように懸命に自制していたが、それはほとんど成功していなかった。首筋に浮かんだ青い線や震えた指先、そして目の色に、怒りがあからさまに表れていた。教師は僕の絵に反抗的なものを見出したらしい。僕が彼の授業を否定し妨害しようとしていると感じたのだ。授業を否定することは担任である自分という人間を否定することにほかならない、と考えて、教師はあのとき怒っていたらしい。僕のほうには何の意図もなかった。僕は自分がしたいように描いただけだった。

「こんな風に描いてはいけない」と教師は言った。怒りを抑えようとするあまり、教師の声はむしろ普段よりもずっと優しく穏やかなものになっていた。

誰がそんなことを決めたのか、という意味のことを僕は言った。

「誰が、とかじゃあないんだ。絵を描くときには、定規を使ってはならない」

先生は授業の最初に、そんなことは言わなかった、と僕は言った。

「言わなくてもわかると思ったからさ。言うまでもないと思ったんだよ。でもそれなら今改めて言おう。絵を描くのに定規を使ってはならない」

なぜと僕は言った。

「自然というものは、定規の線で描かれるようなものではないからだよ。見てごらん、実物の杉の木は君が描いたのとはだいぶ違う様子をしている。木の幹や枝は、そんなにかくかくと、ぎくしゃくとはしていないよ。もっとずっとしなやかで滑らかで、美しい。君が描いた杉の木は、ひどく窮屈そうに見えるよ!定規の線ではああいう柔らかさが表現できない。だから駄目なんだ」

僕はこうやって描きたいのだと僕は言った。

「それだったら、休み時間にノートや落書き帳に書くといいさ。でもこれは絵の授業なんだからね」

授業でも必要な場合には定規を使ってもいいと思う、と僕は言った。

「よくないよ。だってどんな画家も、定規を使って絵を描いたりしない。絵を描くうえで最も重要なのは線だからね。画家の個性は何より線に表れるんだよ。定規なんて使ったらみんな同じような線になってしまって、同じような絵になってしまう。個性も何もない。それは芸術とは呼べないよ」

この男はでまかせをしゃべっている、と僕は思った。定規の線で個性を表現する方法はある。定規やマスキングテープなどを使ってフリーハンドではない線を描いた絵の例を僕は知っていた。教師だって知っていたはずだ。

 

彼は単に定規とか直線を問題にしていたのではなかった。芸術とか個性についても本当は関心などないはずだった。彼は単に、絵の授業で定規を用いた僕に対して腹を立てていた。彼はおそらく僕の態度に何か反抗的なものを見出したのだ。僕が彼の授業を妨害していると考えたのかもしれない。それで侮辱されたように感じたのかもしれない。彼はおそらく侮辱されることに慣れていなかった。

僕は別に先生に褒められたくて絵を描いているわけではない、と口にしようかと思ったが、言わなかった。なぜなら雲行きがひどく怪しくなっていた。上述のようなやり取りの間に、教師の怒りのボルテージは目に見えてどんどん増してゆき、もはや怒りが爆発しかけているのは誰の目にも明らかで、周囲で様子をうかがっていた同級生たちは、ほとんど怯えだしていたのだ。誰かが僕の背中を軽くつついた。これ以上余計なことは言わないほうがいい、という意味である。

それでそのあとは僕は基本的に黙って教師の話を聞いていた。

 

📏

 

僕は今もあの定規の直線だけで描かれた絵を持っている。小学校の担任の教師だけでなく、多くの人がこれまで、僕が定規で描いた絵を批判した。でも誰に何と言われても、僕はそのやり方を捨てなかった。その手法が、自分が望むものを表現するのに、もっともふさわしいと感じていた。はじめてそんな絵を評価してくれたのは後に妻となる女性である。そうだ、はじめて僕の絵を評価してくれたのは彼女なのだった。彼女は僕でさえやや気圧されるほどの熱意で、定規による直線だらけの僕の絵を気に入ったと言った。

 

6 プール遊び

 

今日は庭にゴムのプールを置いて子供たちを遊ばせていた。

娘が弟にどんどん水をかけて、水が苦手な弟はひどく嫌がって逃げ回っていた。あんまりいじめちゃだめだよ、と僕はいさめたのだが、娘は弟を水に慣れさせないといけない、という使命に燃えていて、ひどく熱心だった。しまいには弟は泣き出してしまい、叱ったり弟をなだめたりしているうちに、娘まで泣き出してしまって、午後のプール遊びはさんざんだった。娘のユイの言うことも、一理あるとは思うが、僕も子供のころ泳ぐのが苦手だったために、そして水泳の授業からひどく逃げ回っていたことがあるために、ケイの気持ちもわかるので、いまいち厳しくできないのだった。それにユイはあきらかに必要以上に弟に水をかけていて、僕はときどき注意しなくてはならなかった。

泳げないと困るよ、そうでしょう、と娘に問い詰められて、僕はまあそうだなとなんとなく肯定してしまった。そのうえ何だか話の流れで、 僕も昔から泳ぎが得意だった、というちょっとした嘘までついてしまった。子育てにおいて、僕はしょっちゅう子供たちにこうした小さな嘘をついてしまう。今では一応泳げるとはいえ、決して得意ではないのに。

海に行くのをユイはとても楽しみにしている。その日が来るのを指折り数えている。弟のケイは、まだ海を見たことがないから、(本当はあるのだけど、まだ小さかったので覚えていない)何のことだかわかっていないらしい。でも水が嫌いな彼も、浮き輪さえあれば楽しそうにしているので、まあ安心だろうという気はする。ユイは海で水上スキーをしたいと言った。友達からその話を聞いて、自分もやりたくなったらしい。しかし僕は水上スキーなんてものには手を出したことがないし、どうやるのかもわからない。でも子供の前でそんなことを言うわけにもいかず、適当なことを喋ってお茶を濁しておいた。

ねえパパ、土曜日まであと何日。

あと4日だよと答えるとユイは遠くを見るような目をした。

 

7 あるちょっとした炎上の思い出

 

ずっと以前のこと、ブログに投稿した文章が原因でちょっとした炎上みたいになった。僕は自分のブログであるミュージシャンを批判したのだ。誰かがその文章をある掲示板にコピーアンドペーストして投稿して、それがミュージシャンのファンの怒りを買ってしまったたらしく、大勢の人々が僕のブログに押し寄せて来たのだった。いつになくブログのアクセスが増え、コメントにひどい言葉が書き込まれた。

そのブログ記事は、かなり以前に書いたものだったので、僕はそれを書いたことを自分でも忘れていた。そのせいか僕はどこか他人事のような気分でその騒ぎを眺めていた。コメント欄で見知らぬ人々からどれだけ非難され中傷されても、傷つきもしなかったし、さほど腹も立たなかった。それどころかむしろ僕は彼らに共感する気持ちがなくもなかった。僕が書いた文章は確かに高圧的で偉そうで、視野が狭く想像力に欠けていた。つまりは愚かしい文章だった。僕は読みながら、それを書いた人(すなわち過去の自分)に対して、こいつ馬鹿じゃないかと思ったし、生意気だとも思ったし、こんな考えの持ち主は軽蔑するほかはないとも思った。

騒動の発端となった掲示板を覗いてみたところ、そこにも同様に、僕を非難する書き込みが数多く目に付いたが、それを見てもやはり僕は何も感じなかった。見知らぬ他人が攻撃されているのを眺めるのと同じだった。

僕はその掲示板に書き込みをおこなった。自分を擁護するためにではなく、僕もそこにいた多くの人々と一緒になって、過去に自分が書いた文章をけなしたのだ。いわば自分が原因で起きた炎上に加勢したのだった。もちろん匿名だったので、その書き込みが当事者である僕によるものだとは気づかれることもなかった。僕の書き込みは似たような内容の多数の書き込みの中に埋もれた。

ごく小規模な炎上だったので、すぐに鎮まったし、僕の実生活には何の影響もなかった。すべてのほかの炎上騒ぎと同じように、時期を過ぎると完全に忘れられた。

奇妙なことに、素性を隠して自分を批判するとき、僕は快感に似た感覚を覚えていた。そのことが忘れられない。似たようなことをやったことがある人は、意外とけっこういるんじゃないかという気がする。

 

8 海へ

 

海水浴場は思ったほど混雑していなかったのでよかった。僕は水上スキーをやりたがる子供たちにそれをあきらめさせ、代わりに子供用のサーフィンボードを買って、それで遊んだ。子供用のサーフボードというものがちゃんとあるのだ。水が嫌いな弟のケイも、意外にサーフィンは楽しいらしく、うつぶせに板の上に寝そべって海に浮かんでいた。僕は彼らと一緒に泳いだり、海ブドウをつぶしたりした。妻はほとんど海に入らず、パラソルの下で座ったり寝そべったりしていた。妻は子供たちと一緒になって海水浴を楽しみにしていたはずだった。そのことを僕が言うと、日差しが強くて日に焼けるのが嫌だ、と言った。彼女には気まぐれなところがある。

海岸はにぎわっていて、砂は火がつきそうなほど熱かった。ケイがうずくまって砂浜に開いた小さな穴を覗き込んでいたので、中にカニが住んでるんだよ、と教えてやった。

ケイはその穴に砂を入れた。

埋めちゃだめだよ。カニが出られなくなるよ、と僕は言ったが、ケイはお構いなしに穴に砂を注ぎ込んでいる。無理もない、僕も子供のころには同じことをやった。

閉じ込められたらカニはどうなるん、とそばにいた姉のユイが言った。

息ができなくなって死んじゃうかもしれないね、と僕は答えた。

かわいそう。ねえ助けてあげなよ。

大丈夫だよ、カニはすごく深くまで潜っているし、自分で穴を掘れるからね。また別の穴を掘って、無事に出てくるよ。生き埋めにはならない。

でも僕はカニのことなどほとんど知らない。

 

昼になって、僕たちはパラソルの下で焼きそばを食べた。そのとき頭上からプロペラの音が聞こえて、ケイが指さしてその乗り物の名前を大声で叫んだ。ユイの友達に、ヘリコプターに乗ったことのある子がいるらしく、そして娘は自分もそれに乗りたいと言った。それで僕は、ヘリに乗るためには、たくさんお金を払わないといけないし、普通の人は簡単には乗れないのだ、と説明した。ユイとケイは遠ざかるヘリコプターが見えなくなるまで眺めていた。

 

9 💎海にて・2

 

長い距離を泳いで、ハルは切り立った崖の下にたどりついた。海岸から遠く離れ、海水浴客は黒い点のように見える。それらの点のうち、どれが自分の妻と子供たちなのか、見分けがつくはずもなかった。崖はおよそ20メートルほどの高さがあって、斜面はほとんど垂直だった。ハルは近くにあった岩の上にあがり、そこに寝そべった。遠くから人々の歓声が泡のように響いてくる。日差しが肌を焼くのを感じ、ハルは死について思いをはせる。なぜか日に焼ける感覚を覚えるとき、いつも彼は死について考えてしまうのだ。しばらくすると一人の女がそばを泳いで通りかかった。

ハルは声をかけた。すると女はいきなりケタケタという感じで笑い出し、しかし特に何も言わなかった。それでハルは女のことが気に入り、どこかへ行こうと誘いかけてみた。女は否定も肯定もせず、ひたすら泳ぎ続けていた。それでハルも再び水の中に飛び込んだ。

さほど美しい女ではなかった。ハルは女としばらく並んで泳いだ。ときどきハルが、女の濡れた髪をかきわけて耳に口づけをすると、女はそのたびに身をよじらせて笑った。

海と空の境目のあたりに、ずんぐりしたクジラみたいな形の雲が浮かんでいる。雲は固まったみたいに動かず、眺めているとまるで時間が止まった気がした。

静かだね、とハルは言った。女は無言だった。

そのあとも彼らはいくつか言葉を交わしたが、多くの時間は黙っていた。彼らは誰の視界にも入らない場所で長らく二人きりだった。人々が泳いだり遊んだりしているのはずっと遠い離れたところだった。動くものといえばカモメやトンビばかり、彼らは鳴き声をあげながら空を漂っていた。

しばらく後で、ハルは女の髪を掴んで顔を思い切り水面に叩きつけ、水に浸けさせたまましばらく頭を押さえていた。彼女は手足を振り回して暴れたが、ハルはそれを制した。ずいぶん後でハルが力をゆるめると、女は水から顔を出して、溺れるわ、溺れて死んでしまうかと思ったわ、などと言いながら、ひどく笑っていた。

そのあと女はどこかへ去っていった。その背中に太陽が照りつけ、濡れた白い肌を光らせている。

 

10 海からの帰り道

 

子供たちは砂浜で石を拾い集めて遊んでいた。特に、ガラスが水や砂に削られて半透明の石と化したいわゆるガラス石が気に入ったらしい。僕はそれらの透明な石がもともとはガラスだったことを子供たちに説明したのだが、鋭く尖ったガラスの破片が波にさらされて丸くなる、ということにどうしても納得できないらしく、僕が嘘をついていると思ったようだった。どれぐらい時間が経ったら破片がそうなるのかと問い詰められ、僕もそんなことまでは知らないので適当なことを答えてごまかした。

 

僕と子供たちと一緒になって石を拾った。ユイは途中からガラス石ばかり探していた。弟のケイはガラス石だけでなく、それが何らかの理由で興味を引かれるものであれば、どんなものだろうと拾ってビニール袋に入れていた。

夕方が近づいたので、僕は子供たちにそろそろ帰ろうと言ったが、彼らはまだ帰りたくない、と騒ぎ、僕と妻は苦労してそれをなだめた。夏休み中にもう一度海に来ることを約束して、子供たちはようやく帰ることに同意したのだった。その時刻にも砂浜はいぜんとして込み合っていて、笑い声や歓声があちこちで上がり、人々はいかにも平和そうに、海水浴を満喫していた。

 

でもやっぱり二人とも、ひどくくたびれていたらしく、車に乗り込むとすぐに眠ってしまった。僕は妻と話しながら運転していたのだが、彼女もまた前触れもなくいきなり眠り込んでしまい、それで僕は一人で黙々と車を走らせた。そういう家族みんなが寝静まって一人だけ起きている、という時間が、僕は結構好きなのだった。その孤独感は、誰もいないところで一人きりでいるときのそれとは少し違う感じがする。ラジオでは親が小さな子供を殺したというニュースを報じていた。早朝、まだ眠りこんでいるところを包丁で胸を刺したのだという。

 

11💎風のない街 夏

 

見つめている間、街路樹の葉は一度も揺れず、眺めるのにも飽きたのでハルは空を見上げた。チワワ犬みたいな形の雲が空に浮かんでいた。巨大で重みがあって固そうなその雲は空にへばりついたみたいに動かない。そういえば昔、チワワ犬を飼っていたことがあった。歩くとよちよちとあとをついてきた。でもある日いなくなってしまった。動物病院に連れて行った帰り、いきなり駆け出して駐車場の外に逃げてしまったのだ。泣き叫んで悲しんだ記憶がある。それ以来犬は飼っていないし、飼いたいとも思わなかった。それほど真剣に悲しんでいたのだ。今となっては不思議な気がした。自分がそんなに別離を悲しむことができたなんて。渋滞がまたゆっくりと流れだし、しばらく無言で車を走らせる。左手に川が流れていて、その河沿いに、柳の木が一定の間隔をおいて植えられている。あの犬はどこに行ったんだろう、かつてはよくそのことを考えた。犬が死んでしまったと思いたくなかったので、いずれまた帰ってくると信じようとしていたのだ。でも最近では、もうめったに思い出さない。

空は青く澄んでいて降り注ぐ日差しはあまりにも鋭い。そんななかを大勢の人々が歩いている。女性だけでなく男性にも日傘をさしている人がいた。彼らはどこか辛そうな顔をしている。柳の木の垂れ下がった枝も葉も固まったみたいに揺れない。犬の形の雲は形は同じ場所にとどまっていた。そのように街は暑さに閉じ込められている。

 

12 弾き語りの女(彼女はネズミを思い出させる)

 

地下道を通りかかったとき、ギターを弾き語る女を見かけた。女は右手で規則的に機械的にコードを鳴らしながら、歌声を響かせていた。僕は思わず足を止めてしまう。昔はよく見かけた、ああやって道端でアコースティック・ギターを抱えて歌う人。西暦2000年前後の頃の話だ。でも最近ではめったに見かけない。どうしていなくなってしまったんだろう?ところで僕はあの手の音楽に耐えられなかった時期があった。当時、路上で歌う人たちの近くを通らないといけないときには、両手で耳をふさぎながら歩いた。

 

弾き語る女の顔はネズミに似ていた。目が細くて、顎が細く尖っている。歌は平凡で、その歌い方は、ほとんど僕が嫌いな歌い方のすべてを備えていた。馬鹿みたいにがなり立てる高音、過剰なヴィブラート、ときどき挟まれるわざとらしい吐息、それは自分の歌声を魅力的だと信じている人間の歌い方だった。それでも女の前には小さな人だかりができていた。僕は信じられない思いで彼らを眺める。こういう歌を好む人もいるのだ。僕は苛立ちを覚えつつその場を去った。

 

夜にもう一度地下道を通りかかったとき、ネズミの顔の女はまだ同じ場所で歌っていた。大したものだ、大した持久力だ、と僕は思った。彼女はおそらく昼からずっとそこにいて、同じ調子でずっと歌い続けていたのに違いない。でも人だかりはなくなっていた。通行人は目もくれずに彼女の前を通り過ぎる。

数時間ぶりに聞いても、やはり退屈な音楽だと思った。ああいうのは許せないな、(と僕は一人でつぶやいていた)あんなひどい歌を、ひどい歌声で歌う女は、いずれひどい目にあうよ。とにかく、ああいう歌い方は許せないんだよ。その独り言は、すれ違う人におそらく聞こえていた。

 

🐭

 

帰り道、人けのない細い路地の真ん中に、黄色い果実が落ちていた。近くの家の庭の木から落ちたものらしい。僕はそれを拾い上げ、しばらく眺めまわしたあと、ポケットからナイフを取り出した。それはいつも携行しているサヴァイヴァル・ナイフ。その鋭い刃先を果実の皮にほんのちょっとだけあてて、そっと横に滑らせる。皮に一文字の切れ込みができた。僕はその線を点検し、それが紛れもなく完璧にまっすぐな直線であることを確かめる。そのあとで僕は果実を放り投げた。果実は放物線を描き、数メートル先のアスファルトにぐしゃと音を立てて落ちた。

 

13💎花火大会の会場にて

 

花火会場は蒸し暑く、人でごった返していた。人々はすでに慣れてしまっていて、こういう人が密集した状況に何とも思わなくなってしまっている感じがある。マスクをしていればそれでいいだろう、という感覚でいる。ハルも例外ではなかった。すぐ近くに、大きな黒いエルグランドが停まっていて、車内では男女が座席に座ってフロントガラス越しに花火を見ていた。男のほうは大柄な、屈強そうな体形をしていて、女のほうは髪の毛を金色に染めている。二人とも30代ぐらいだった。妻と子供たちは花火に目を奪われているので、そんな車には見向きもしない。ハルは花火などそっちのけでその金髪の女の横顔を見ていた。その女に目を引く要素など何もなかった。美人ではもちろんなかったし、肥っていたし、どことなく下品な印象さえあった。でも花火を見るのだって、ハルにとってさほど面白いわけでもなかった。花火にはとっくに飽きている。物心ついて以来、30回以上の夏を経験していて、何度となく花火を見た。花火大会なんて結局のところ毎年同じことを繰り返しているだけなのだ。こんな蒸し暑さの中、見飽きたものをただ見上げるというのはひどく馬鹿げた愚かしいことではないか。もっともハルはそんな花火に対する思いを誰にも口にしたことはない。彼も子供たちと一緒になって、ああ、すごいねえ、綺麗だねえ、などと口にしてさえいた。屋台で買った氷入りのコカ・コーラを飲み干し、氷を噛み砕くと、ひどく大きな音が立して、すると息子が、お父さん、僕も、と言ったので、ハルは残りの氷を全部彼に与えた。小さな息子はまだ未成熟な歯で氷をかみ砕いていた。そのときハルはさっきの黒のエルグランドの助手席から金髪の女が降りてくるのを見た。

ドウンドウンと花火の音が鳴り響く中、女はどこかへ向けて歩いていった。女の身体つきは土偶のようだった。隣では息子が氷をカリカリと砕いている。息子は飽きっぽいのか、さっきまでは花火に夢中だったのに、今では花火より氷のほうが大事そうに見える。トイレに行ってくるよ、とハルは行って、妻がうん、と返事をした。ハルはその場を離れ、金髪の女の後を追いかけた。トイレでは人が列を作っていた。金髪女は列の最後尾に立っている。ハルはさらにその後に立ち、すみません、と声をかけた。金髪女が振り返る。近くで見ると彼女の肌は想像以上に荒れていた。こめかみの上あたりの肌がボコボコしている。すみません、トイレはどこですか?とハルが話しかけると、女は疑わしそうな顔で彼を見た。街灯の明かりを受けて瞳が白く光っていた。すぐそこですよ、と女は言った。見ればわかるだろう、という口調だった。その声は低く、ざらざらしていた。

ハルは無言で二、三度頷いた。それでも女の背後に立ったまま離れようとしないハルを、金髪女は不審そうな目で見た。当然ながらそこは女子トイレの列だったので、ハルが彼女の後ろに並ぶのはおかしい。女がそのことについて何か言う前に、ハルは片手で女の首を掴み、もう片方の手で、ポケットから出したナイフの刃先を彼女の首筋に軽くあてがった。

声を出さないで、声を出したら刺します、刺すことになると思います、とハルは言った。女の表情はさほど変わらなかったが、驚きと混乱のために、どうしたらいいかわからないようだった。あるいは何が起こったのか理解できていないのかもしれない。離れたところから眺めると、ハルと金髪女の姿はじゃれあう恋人同士のように見えなくもなかった。

少し後で女は叫ぼうとした。そしてその声は、確かに外に出たのだったが、咽喉を絞められていたために弱弱しく、さらには同時に響いた花火の音のために、ほとんど誰にも聞こえなかった。ハルは首を絞める右手の力をより強め、そして言った。声を出すなと言いましたよね、どうして言いつけを守らないのですか、僕だって本当は刺したくはないんだ。

女はその言葉に対して、特に反応しなかったが、彼女の身体から力が抜けるのが感じられた。

「次に同じことをしたら刺します。僕は本気なんだよ」ハルは、自分の声にはどうも凄みが足りない、と思っていた。良い具合に怖い感じの声が出てくれないのだ。そういう発声方法を知らない。でもこの場合、そんな声は必要なかった。女はちゃんと怯えていた。ハルの言葉は、そのどこか軽い声の調子にもかかわらず、ちゃんと彼女に恐怖を与えていた。ハルはそんな女の様子を眺めつつ、もしかしたらこの女は、もともとはそんなに醜くはなかったのかもしれない、と思った。マスクで顔が半分隠れていても肌が荒れているのはわかったし、そのうえ喫煙者だし(近づいただけでもハルにはそのことはわかった)肥満気味だが、たぶんもとはそんなにひどくはなかったはずだ。長年にわたる生活が、習慣が、彼女を醜くしたのだろう、と思った。

殺せ、そのまま殺してしまおうよ!! そんな声がどこからか聞こえてきて、ハルは首を締めた手の力をさらに強めた。そして頭の中で数を数えた。10秒数えてから手を離すと、女はぐったりして目を見開き、マスクの下で唸るような声を出した。ハルはナイフの刃先を女の首筋から、顎の下に移動させ、顎と咽喉の間の柔らかい肉を、1㎜ほど刺したが、それ以上のことはしなかった。今のところまだ、あの声に従うことはできそうにない。

手を離すと女はよろめいて地面に膝をついた。ハルは背を向けてその場を去った。そのとき花火は大詰めのクライマックスを迎えていた。いくつも立て続けに花火が打ち上げられて夜空をほとんど覆った。ハルは妻と息子の元に戻ったが、彼らはそのことにも気づかないほど花火に夢中だった。

黒いエルグランドの男もいひとりでぼんやりと空を見上げていた。その顔が花火の閃光に照らされている。

 

14 引っ越し

 

夏の終わりのある日、四人の男たちが我が家にやってくる。彼らは引っ越し会社の作業員である。四人ともちょっとたじろぐほど大きくて屈強でけっこうな威圧感があった。彼らはほとんど口も利かずに、段ボール詰めにされた荷物や家具を次々と外に運び出し、10tトラックの荷台に積み上げていった。その連携はまさしく、一糸乱れぬ、といった表現がぴったりで、僕と妻も作業をちょっと手伝おうとしたのだが、やんわりと断られてしまい、でも確かに下手に我々が手を出すより、彼らに任せきりにしておいたほうが作業はよほど早く終わりそうだった。

 

荷物の積み込みが終わり、我々家族は車で新しい家へと向かった。引っ越し先は同じ市内なのだが、今まで住んでいたところからはけっこう離れている。モノトーン調の三角屋根の家で、高台の上に建っている。最初はあまり気が進まなかった。子供たちが学校を行き来するのに毎日坂道を上り下りするのは大変だろうと考えたからである。どうせどこに住んでたって坂道はあるんだから、と妻が言った。彼女の言うとおりで、下関市は起伏に富んでいる。どこかへ行くのに、一度も坂道を通らないといったことはまずない。車だとそのことは意識しないが、歩いたり自転車に乗っているとそのことがよくわかる。よその土地から下関に移り住んできた人からも、そうした意見を聞いたことがある。それで最終的に我々はその高台の上の家を購入したのだった。ところで妻は、高台の上にあって街を見下ろす家、というものにかねてから憧れを抱いてもいたらしい。

 

到着した10tトラックから、がらんとした家の中に荷物が運び込まれる。僕と妻は荷物をほどき、家具を配置した。娘と息子はもちろん手伝うことはなく、二人で廊下を駆け回っている。あんまり騒いじゃだめよ、と妻が注意してもろくに聞かない。

 

15 不死なる太陽

 

それは静かな町だった。引っ越して最初の日曜日の午後、僕は娘と息子を連れて散歩に出かけた。ただでさえ静かな街は普段よりさらに静まり返っていた。車は一台も通りかからず、通行人もいない。近所中が一斉にどこかへ出かけてしまったかのようだった。ある家の前の花壇に、青や白や黄色の花々が並んでいて、風に揺れるその影がクリーム色の壁面に映っていた。僕はなぜか人類が死滅してしまったあとの地球を想像した。人間が残らず死滅してしまったあとでも、太陽だけは変わることなく地上を照らし、あちこちに影を生じさせるのだろう。花々の影はまるでそんな滅びた後の地球の一角に一人きりでいるような気分にさせた。

あそこになんかおる、と息子のケイが言って、僕は彼が指さした先を見た。塀で覆われたマンションの敷地の一角に、庭のような空間が設けられていて、そこには池があり、そのそばに首の長い白い鳥がしゃがんでいる。

アヒルだよ、と僕は言った。このマンションで飼っているんだろうね。

娘と息子は足を止め柵越しにアヒルを見つめていた。アヒルの小さな黒い目はねむたげに半分閉じている。寝てるん?と娘のユイが言って、たぶんね、と僕は答えた。じゃあ起こしちゃ悪いね、と娘は言って、それで僕らはアヒルを起こさないようにそろそろとその場を去った。太陽が死ぬのは数十億年も先のことらしい(僕はまだ太陽のことを考えていた)。数十億年という時間は、人間の寿命と比較したらほとんど永遠のようなもので、つまり我々にとって太陽とは不死も同然の物体であり、永遠にそこに存在するものと認識したところでさほど間違っていない。

振り向くと例のアヒルはまだ同じ場所でじっとしていた。遠くから見るとそれは生き物ではなく白い薄い紙を何枚も重ねた物体に見える。

 

そのあとは公園に行った。公園には誰もいなかった。キリンの形をした椅子があって、息子のケイは、それを目にするや否や何か叫びながらそれに向かっていきなり駆け出した。その椅子は根元がスプリングになっていて、乗ると揺れるようになっている。ジャングルジムもあったが、それはところどころ錆びていて老朽化が激しいためか、使用禁止の札が張られロープでぐるぐる巻きにされていた。滑り台もあって、それは使用禁止ではなかったので、娘はそれで遊びはじめた。やがてケイもキリンの椅子から離れて滑り台に参加した。二人はきゃあきゃあ言いながら階段を上っては滑り降り、同じことを飽きもせず何度も繰り返していて、僕はそばでその様子を眺めていた。しばらくそんな風に時間を過ごしていると、母親と4歳ぐらいの男の子が公園に現れた。その男の子は公園に入るなり駆け出して、ユイとケイのほうに近寄ってきた。彼らはもちろん友達同士でも何でもないはずだが、僕が戸惑うほどあっという間に打ち解けて、一緒に遊びはじめた。男の子の母親が挨拶をして、僕も挨拶を返した。でも特に言葉を交わすわけでもない。

 

夜になると、家のまわりは昼間よりさらに静かになった。「静かだね」「静かね」そんなやりとりを妻と何度か行った。前に住んでいた場所がいかに騒音に満ちていたかを知った。「気がつかんやったわ。ここに来るまで。あそこ駅が近かったもんね。今思うと夜中でも絶えず何かの音が鳴ってたもんね。でももう慣れちゃって、あの音をほとんど音とは認識してなかったんやね」と妻は言う。

静かなのはいいことだよ、と僕は言ったが、でもあまりに静かなためかなぜか胸騒ぎがして、その夜はなかなか寝付けなかった。

 

16 ASIAN KUNG-FU GENERATION『ワールド・ワールド・ワールド』

 

僕はこのバンドのデビュー当時からのファンというわけではない。でも何年か前にある日突然好きになった。はじめて聴いた曲は『無限グライダー』で、明らかにFっぽい進行ではじまるのにヴォーカルでいきなりEフラットが鳴るのにびっくりした。それで転調みたいなふわっとした効果が生まれていて、このバンドは音楽にすごく詳しいんじゃないかと思った。

どのアルバムも好きだけどいちばん聴いたのは『ワールド・ワールド・ワールド』で、おそらくすでに100回以上聴いている。買う前からきっと気にいると確信していたし、その予感はあやまたず、買ったその日にたてつづけに3度聴いた。『旅立つ君へ』と『ネオトニー』を最初に聴いたとき、その二曲は同じ一つの曲なのだと思い込んでしまい、なんてドラマチックで劇的な楽曲だろうと感動したのを覚えている。でもいちばん好きなのはやはり『或る町の群青』なのだけど。

『ワールド・ワールド・ワールド』におけるドラマーのパフォーマンスはすばらしい。本作に限らずドラミングによって楽曲の魅力が大きく引き上げられている例は少なくない。ギタリスト、ベーシストについても、その才能は決してないがしろにされるべきものではない。彼らの演奏はシンプルだが、そこには伝統的ロックンロール的な骨太さもあり、楽曲に適切な彩りを与えている。とくに僕はベーシストの音色が好きだ。音が自信に満ちていて、楽曲の確固とした、ずっしりとした土台を築きあげている。バンド音楽におけるベーシストの役割を、理想的な形で果たしているといった感じがする。

 

このバンドについて僕がいちばん関心するのは、彼らが徹底して単調さを避けていることである。楽曲はいずれも短いが、決して単純ではない。一番が終わって二番、その後間奏で、最後にサビを繰り返して終わり、といったj-pop的王道パターンをそのまま踏襲した曲はまずない。安易な繰り返しとか反復もめったに出てこない。シンプルに見える曲でもいろんな仕掛けが施されていたりする。曲の途中で飽きる、という状態にリスナーをおちいらせてしまうことに対して、ほとんど偏執的なほどの強い危機感を持っているように感じる。

 

17 下関にも野良猫はいる

 

溝の中に白猫がいた。猫は僕に気づいてしばらくそこに隠れていたのだが、やがて溝から出てきて、僕のすぐ目の前をゆうゆうと、堂々と横切り、そばの空地へと入って行った。ところでその空き地は今でこそ何もない更地だが、つい数日前まで、何か建物があったはずだ。さっきから考えているのだが、それがどんな建物だったか、どうしても思い出せない。でもこの街においてはこういうことは珍しくない、つまり昨日まで建物があった場所が今日空き地になっているといったことは。そして猫はいつのまにかどこかに消えてしまっている。

 

僕はまた歩きだした。ところで最近、ただでさえ坂が多いこの街にまた新しく坂が増えた。バイパス道路を建設するために、それまで平坦だった歩道がつぶされて、起伏のある新しい歩道ができたのだった。坂が多くてしんどいから、僕はもうめったに自転車に乗らなくなってしまった。お年寄りは歩くだけでも大変なのではないだろうか。しかもそのバイパス道路は、もう2年以上も工事をしているのにいまだに完成していない。行き当たりばったりの、想像力を欠いたこの都市計画、もしかして連中はわざとやっているのだろうか?何にしても許しがたい。いずれ僕が市庁舎を爆破する日が来るとしても、あまり怒らないでほしいものだ。

 

丘の上には霊園があって、そこへ至る細い道路沿いには井戸がある。僕は通りかかるたびにいつもついその井戸を覗き込んでしまう。町中で井戸を目にすることはあっても、たいてい埋められていたり、人が落ちないように厳重に蓋をされているものだが、その井戸はむき出しで野ざらしにされているのだった。穴はぞっとするほど深くて暗く、覗き込むたびにいつも冷ややかな気分になる。現代の生活からはまず失われてしまった種類の闇がそこにある。

 

墓地へと続く階段を上る。僕は別に墓参りに来たわけではない。そもそもこの霊園には僕の一族の墓はない。つまりまるで縁もゆかりもない場所なのだった。天気の良い初秋の午後、何かに誘われるように、僕は墓地へ足を向けていたのだった。

霊園は広く、ほとんど迷路のようだった。丘の上なので見晴らしは良い。南東側からは関門海峡とその上に架かる大きな橋が見えた。かすかな風が吹いて、海と空は透き通って青く、あたりは静かだった。日差しを浴びて墓石が白っぽく光っている。僕は段差に腰かけて橋の上を走る自動車の列を眺めていた。僕はときどきそうやって墓地で時間を過ごす。墓地というのはいいものだ。たいてい人けはないし、スズメの親子を観察したりもできる。

 

帰り道、さっきの白猫をまた見かけた。猫は空き地から出てきて、最初にいた溝にまた入り込もうとしていた。

 

18 💎輪廻ハムスター

 

ハムスターのネズは走っている。お気に入りの回し車を回転させている。彼はひっきりなしにその遊びを行って飽きることがない。それにしても恐るべき体力だと思う。ハムスター🐹のネズが休むことなく餌も食べずに走り続けて今日ですでに10日が過ぎているのだ。無尽蔵の体力を持つネズ。いまだ疲れた様子は見えない。

遊びというのはたいてい目的のないものだが、ネズはその無目的性に取りつかれてしまっているように見える。それともそこに意味を見出そうとしてひたすら続けているのだろうか。とにかく車輪は回り続けている。ネズの足が止まない限り、その回転は止まらない。その回し車は100円ショップで買ったようなちっぽけな安っぽいものだが、ハムスターのネズにとっては、自分よりずっと大きい巨大な物体なわけで、そしてこの小さな生き物は自らの力で自分より大きな物体を回転させることの喜びに取りつかれているように見える。いや、そんなことは考えていないかもしれないが、いずれにしても人間に同じことはできない。それで僕は少しネズのことがうらやましく思った。生まれ変わったらハムスターになるのも悪くないと思った。

 

19 森のタヌキ

 

引っ越した先の家の近所には森があって、僕はその森が気に入った。森というより雑木林と呼んだほうが近いかもしれないが、ちゃんと遊歩道もあるし、静かで人けがなく、植物や野鳥を観察できる。僕は何度もその森に一人で足を運んだ。子供たちを連れてちょっとしたピクニックに出かけたこともある。

ある日のそんなピクニックの折、我々の目の前にずんぐりした毛だらけの動物が草の影から現れたことがあった。猫かと思ったが猫よりは大きく、顔つきも明らかに違っていて、走り方もどことなくのっそりしている。娘と息子はすぐさま飛びつくようにその動物を追いかけた。子供たちのそういう珍しいものを見かけたときの反射神経の速さには、いつも目を見張ってしまう。見慣れぬ動物はすぐに逃げて草木の陰に隠れてしまった。

あれは何だったのかと子供たちが問うので、僕はたぶんタヌキだろうと答えた。ひょっとしたらアライグマかもしれない(🦝←なぜかタヌキの絵文字はない)子供たちは珍しい動物を目にしてはしゃいでいたが、すぐに逃げてしまったことを残念がってもいた。

タヌキは珍しいが、意外と市街地に現れないわけでもないらしい。ときどきそんなニュースを見ることもある。息子のケイは、タヌキを捕まえて、家で飼おう、と提案し、娘も同意していた。お友達ができたらBWも喜ぶだろう、と二人は言う。BWというのは、家で飼っている猫の名前である。ブラックとホワイトの頭文字で、猫が黒と白の模様を持つことから、妻が名付けた。しかし猫というものは、タヌキと仲良くできるのだろうか?…………

 

20 ピクニックの一日

 

9月のある日曜日の朝、子供たちがタヌキを探しに行こうとせがむので、また近所の森に出かけることになった。するとなぜか機嫌のよかった妻が、せっかくだからお弁当を作ってピクニックみたいにしようと提案して、子供たちもそのアイデアに賛成し、それで我々は出かける前に昼食のためのサンドウィッチを作った。僕はパンを切り、ユイがそれにマヨネーズを塗る。妻がハムやレタスやキュウリを挟む。

ユイがパンにやまほどマヨネーズを塗るので、妻が注意していたが、娘はこれは自分で食べる分だから、と言ってきかない。サンドウィッチができあがるとそれをバスケットに詰め、我々は出発した。

 

森を散歩しながら、僕らはあちこちを探し回ったが、タヌキはどこにもいなかった。どうして出てこないのかな、と子供たちが言って、僕は、きっと隠れているのだろう、動物は警戒心が強いから、もう見つからないかもね、と言った。

でもこないだは出てきたのに、と子供が言って、僕は、あのときはたぶんタヌキも油断していたんだよ、と言った。

どうして怖がるのか?こちらは愛をもって接しようとしているのに、という意味のことを、たどたどしい言葉遣いで小さい息子のケイが言い、それに対して姉のユイは、自分よりずーっと大きい生き物が追いかけてきたら、ケイちゃんだって逃げるやろ、と言って、弟を納得させていた。

森には多くの鳥がいて、子供たちは見かけるたびにそれらの鳥の名前を尋ねた。僕はろくに鳥の種類や名前を知らなかったが、妻が思いのほか鳥に詳しかったので助かった。でも一向にタヌキは出てこない。おお、タヌキよ、お前はどこに行ったのだ?

そのうちに公園に行きついた。小さな東屋があり、そこにはベンチとテーブルもあった。我々はそこで昼食をとることにした。バスケットからサンドウィッチを取り出し、食べはじめる。でもユイは自分の分としてマヨネーズをたくさんつけたサンドウィッチがどれであるかわからず、結局手当たり次第に食べていた。おかげで僕はひどくマヨネーズがたくさん入ったサンドウィッチをつかまされてしまった。そのあと二人の子供は公園にあった遊具で遊びはじめた。さっきまではタヌキに出会えなくて意気消沈していたのに、今ではそんなことはすっかり忘れてしまっているように見える。

 

帰り道で子供たちが喧嘩みたいになった。娘が「暑い。のど乾いた」と言って、その発言を弟が「ドド乾いた」といった感じで繰り返して、娘がそんな言い方はしていないと反論して、それで言い合いになったのだった。でも途中でジュースを買って、涼しい日陰に入ってそれを飲んでいたら、二人ともだんだん機嫌が直ったのでよかった。


 

🎑🍂202x 秋


 

21 Facebookで再会した同級生

 

Facebookのアカウントを作ったとき、僕が最初に検索したのは、高校の頃のある同級生の名前である。彼のことはよく覚えていたのだ。なぜなら彼と僕とは漢字が一文字違うだけの同姓同名だった。さらに僕は彼と二度も同じクラスになっていた。もちろん出席番号は隣で、だから学校内では一緒に行動する機会が多かった。例えば掃除の割り当てなどで。しかし僕は彼とろくに口をきいたことがない。

彼だけでなく、僕は基本的に学校では誰とも口を利かなかった。もちろん友人もゼロだった。学校での僕はほとんど透明だった。いわゆるいじめに遭っていたわけではない。同級生たちは僕に対してわざわざいじめるほどの関心すら持っていなかった。ただひたすら僕の存在を無視するばかりだった。同級生の誰も僕の名前を呼ばず、僕もまた同様だった。

同姓同名の同級生は、なぜか僕のことを明らかに嫌悪していて、そのことを隠そうともしなかった。彼だけは僕を透明人間として扱うだけでは済まさなかったのだ。彼はしばしば僕のことを大っぴらに口汚く罵り、時にはちょっとした暴力をふるうことさえあった。たとえば僕が通路に立っていて邪魔になるようなとき、彼は僕の背中を思い切り突きとばした。

どういうわけか彼は僕の顔を見るだけでどうしようもなく苛立つらしかった。そのことに気づいたとき、僕はなぜかさほど不愉快ではなかった。むしろ彼が苛立つ様を見て面白みを覚えてさえいた。僕は彼と対するとき、しばしば笑みを浮かべた。その微笑はもちろん、さらに彼の怒りを煽ることになった。

 

その同姓同名の同級生のFacebookアカウントはすぐに見つかった。そのアカウントに公開されていた情報によると、彼は現在大阪に住み、家具販売会社に勤めていて、結婚して息子が一人いる。プロフィール画像には彼の子供が映っていた。その他生年月日や好きな映画や好きな音楽、実家の住所や、奥さんと子供の名前まで知ることができたし、TwitterやInstagramのアカウントまで、芋づる式に特定できた。彼は写真アルバムを「全体に公開」にしていたので、僕は写真を閲覧することもできた。彼の家族が彼の友人の家族と一緒にバーベキューをしている写真、広い草原のような場所を駆け回る彼の娘の写真、奥さんと二人で食事をする写真など。

かつて高校時代、僕が彼について知っていることといえば名前ぐらいだった。話したこともないし、趣味趣向など知る由もなかった。それなのに今ではちょっと検索しただけで彼についての個人的な情報を知ることができる。彼もやはり自己顕示欲という魔物から逃れられないらしい。現代では、誰もが自分のことを知ってもらいたくて仕方がなく、また他人との差を明らかにしたいと望んでいるかのように、インターネットを眺めていると、思えてきてしまう。ソーシャルネットワークサービスの隆盛により、自己顕示の欲求は絶えずひっきりなしに刺激されて、多くの人々は競い合うように、取り残されないように、聞かれてもないのにいろんなことをインターネットでアピールする。でもそうした傾向はおそらくとくに現代人に特有の病理というわけではないのだろう。人間というのはたぶん本来そういう性質を備えているのだ。今はたまたまインターネットがあるせいで、それがあからさまに目につくようになったというだけのことだ。

気がついたとき、僕はフレンド申請のボタンをクリックしていた。あろうことか、「久しぶり~覚えてる?高校の同級生の〷だよ!」というふざけた感じのメッセージまで添えて。何が僕にそんな行為をさせたのかはわからない。高校を卒業してから彼とは一度も顔をあわせていない。彼はもう僕のことなど完璧に記憶から消してしまっているはずだ。でもこの申請とメッセージによって、彼はおそらく僕のことを思い出すだろう。当時、彼が僕に対して抱いていた感情をよみがえらせることだろう。僕にはそのことが少し面白かったらしい。ただのワンクリックで人を苛立たせられることができる。画面を眺めながら、いつしか僕はにやにやしていた。自分が彼をひどく苛立たせていることに気づいて、奇妙な喜びを覚えていた、高校生の頃の気分を思い出していたのだった。

申請は退けられた。僕は別にがっかりしなかった。同姓同名の同級生は、「全体に公開」にしていた写真アルバムを「友人のみに公開」に変更していた。

 

そのあとも僕はいろんな同級生に手当たり次第にフレンド申請を送ってみた。意外なことに彼らのうちの何人かは、申請を承認してくれた。僕はオンライン上で彼らの「友人」になることができたわけだ。さらに驚くべきことには、承認してくれた同級生たちは僕のことを覚えていた。高校で僕はあれほど透明人間然とふるまっていたのに、むしろそうだったからこそ、彼らにとって僕は奇妙に記憶に残る存在だったらしい。彼らは当時の僕について、いずれ学校に来なくなるんじゃないか、とか、急に自殺するんじゃないかと思ってた、などと語った。

僕もかつてとは違い、インターネット上では彼らに対して友好的に接した。オンラインでならそんな風にふるまうことは容易だ。

 

22💎夢の復讐殺人

 

夢をみた。私は学校の教室にいる。前の席には幼馴染のエミコが座っている。彼女はことあるごとに振り返って私に話しかけてくる。その言葉はいちいち辛辣で、残酷だった。夢の中で私はどうやらエミコにいじめられているらしい。彼女は私に一冊のノートを見せてきた。そこには細かい字でびっしりと文字が埋め尽くされていた。

そこにはクラスの全員による私についての印象や意見、また私について知っているエピソード等が書き記されていた。エミコはクラス全員にインタビューをして集めたのだという。私はそれを読んだ。服装がみっともない、使っている携帯が古い、暗い、話が面白くない、髪型が変、右腕にある大きなほくろが気持ち悪い、中学1年の時授業で先生にあてられてひどく的外れな答えをしてクラス中大笑いになった、体育の授業の時体操服を忘れて一人だけチアリーダーの格好で授業に出た、そんなことが書かれていた。

私が知りたくない、あるいは思い出したくないことばかりがそこに書かれていた。エミコはそういう内容のものだけ選んでまとめたのだろう。いかにも彼女が思いつきそうなやり口だった。彼女は人を傷つける術を熟知している。

ノートの最後のページには、色鉛筆による大きな字で『マイナス10億2800万点』と書かれていた。エミコは笑みを浮かべてその数字を私の目の前に突き付けた。それは私に下された最終的な「評価点」であるらしい。採点基準は不明だが。マイナス10億2800万点。


 

目覚めたとき、私はそれが夢だとは思えなかった。過去に起きた不愉快な出来事を思い出すときのような気分だった。でもどれだけ思い返してもそんな記憶はない。エミコとは確かにさほど仲良くなかった。何度も彼女から意地悪な言葉を向けられたこともある。でもいじめられたことはない。そんな変なノートを見せられた記憶もない。つまりそれは現実に起こったことではない。ただの夢だ。

でもあのやり口の執拗さと陰険さは、いかにもエミコらしかった。もし彼女が当時、私を本当に傷つけようとしていたら、夢に見た通りの行為をやっていただろう。私はなかなかベッドから起き上がれずにいた。身体が熱を持つほど怒りを覚えていて、そのせいで動けなかったのだった。私は確かにあの女を嫌っていた、憎んでいた、と思った。その感情を生々しく思い出した。学校を卒業してからは彼女のことは忘れようとしていたし、実際にほとんど忘れかけていたのに、夢のせいでまたよみがえってしまった。

 

インターネットでエミコの名前を検索すると彼女のFacebookのアカウントが見つかった。彼女はそこにいろんな個人情報を公開していた。現在のエミコは結婚して子供もいるらしい。さらに最近新築の家を建てたということだった。写真アルバムは全体に公開されていたので私にも閲覧することができた。新築の2階建ての家の前で赤ん坊を抱いたエミコが映っている写真があった。彼女は赤ん坊を見つめていかにも幸福そうな笑みを浮かべている。その頬に浮かぶえくぼには見覚えがある。昔の面影を残しつつちゃんと20年分年を取ったエミコの姿がそこにあった。

彼女の現住所は私の住んでいる市と同じだった。彼女も私と同じように、今も生まれ育った土地に住んでいる。

 

🏠

 

公開されていた情報や写真から、エミコの家は野球場から近く、近所を川が流れていて、家の向かいは空き地になっている、ということがわかった。それだけの手がかりから住所を割り出すのは、さほど難しくもなかった。小さな町なのだ。それに私は彼女の家の近所の景色に見覚えがある。何度も通りかかったことがある。

ある日の午後、私はその家の門の前に立った。エミコは専業主婦であることもFacebookでほのめかしていたので、平日には家にいるはずだ。不在なら出直せばいい。インターフォンを押すとスピーカーから声がした。間違いなく幼馴染の声だった。かつて私に向けて、「ユウちゃんを好きになる男の人なんて、おるんかねえ」と小馬鹿にするように笑いながら言ってのけた、あの声と同じだ。私は名乗った。そして、ちょっと近くを通りかかったものだから、久しぶりに会いたくなって、と言った。

事前の連絡などもちろんしていなかったので、エミコはやや面食らっていたが、それでも、私のことを覚えていると言い、懐かしいねえ、とまで言った。そしてドアが開き、エミコが姿を現した。彼女は私を見て笑顔を浮かべ、ああ本当にユウちゃんやん、久しぶりやねえ、と言った。私も挨拶を返し、急に押しかけたことを詫びた。

エミコが門を開けたとき、私は手にしていたナイフで彼女の脇腹を刺した。エミコは歪んだ笑みを浮かべたまま硬直した。そして膝から崩れるように倒れた。

 

私は逮捕されたが、取り調べの警察官は動機が理解できないらしかった。夢の中で彼女が行った行為に対する復讐です、と私は説明したが、彼らは理解しなかった。彼らは動機は嫉妬だと考えているらしかった。つまり、私のほうは独身なのにエミコは結婚して子供を産み新築の家まで建てている。同級生なのに境遇にそれほどの差が生じていることが不満で、嫉妬して殺意を抱いた。そんなストーリーである。

私は自らに問いかけた。私は嫉妬していたのだろうか?どれだけ考えてもそんな感情には覚えがなかった。殺意は夢の中で芽生えたものであり、他に理由はない。Facebookで彼女の近況を知ったとき、私はすでにその決意を固めていた。

復讐です、と私は繰り返すばかり。

 

23 SND『Makesnd Cassette』

 

ハードオフ新下関店のジャンクCDコーナーで見つけて105円で購入した。一時期そうやってアートワークだけを頼りに安いCDを買いあさっていたことがある。そうして見つけた中でおそらく最良のもの。

 

メロディーとか劇的な展開とか流麗なハーモニーといった要素はない。抽象的でミニマルなパターンが少しずつ変化しながら繰り返される。リズムと音色のほかには何もない。繊細に編まれた騒音といった趣がある。

狭くて小さい清潔な部屋にロボットが数台集まって寡黙に演奏している、そんなイメージ。呼吸も脈拍も熱もない。人類が滅びた後、機械に支配された世界に鳴り響く音像のよう。

それは音楽でありながらどこか音楽に反抗している。音楽など聴きたくない、といった気分のときに聴くための音楽でもある。

僕はこのアーティストに強く影響を受けている。(ブログ記事『角砂糖空間』は、その影響のもとに書かれた。)

 

24 ナナタン(友人の女性)

 

僕には親しくしている女性の友人がいる。彼女は「ナナタン」と呼ばれる(僕は彼女の本名を知らない)。

ナナタンとは2008年ごろに、とある音楽系のSNSを通じて知り合った。プロフィールの住所が同じ県の同じ町だったからという理由で、フレンド申請を送ったのだった。彼女に対して何か特に興味を覚えたわけではなかった。当時のSNSにおいては、見ず知らずの人にいきなり申請するなどというそうした無分別な振舞いも、比較的許されていた。

申請は承認された。礼儀として僕は彼女の個人ページに、承認してくれたことのお礼のコメントを送った。自分も同じ町に住んでいることを伝え、ナナタンのプロフィール画像を褒めた。プロフィール画像はピアノを弾いている彼女自身の姿を映した写真で、背の高い彼女は真っ黒なワンピースに身を包み、顔は長い髪に隠れていた。背筋を伸ばし、ほっそりした両腕を鍵盤に置いた姿は、どこか魔女めいていてミステリアスだった。

ナナタンも僕に返信コメントをくれた。それがはじまりだった。SNSを通じて何度かやりとりをした後、僕はナナタンと実際に会った。僕と彼女には音楽という共通の話題があり、やがてクラシック音楽のコンサートなどに一緒に行くようになった。当時僕は現在の妻である女性とすでに交際していた。僕は妻にナナタンを紹介していない。だから妻はナナタンのことを知らない。

 

今日も僕はナナタンをコンサートに誘った。ラフマニノフのピアノコンチェルトの演奏会。我々はタクシーでコンサートホールに出かけた。ところで僕は用心してナナタンを自分の車には乗せないようにしている。ナナタンの髪は長く、妻の髪は短い。そういうことも理由である。

会場のホールは人でごった返していた。僕らはロビーでコンサートホールの扉が開くのを待っていた。そのときナナタンがだしぬけに、僕の妻と子供は今の時間何をしているのかと尋ねた。

夕食を終えて、テレビでも見ているんじゃないかな、と僕は答える。

僕は妻に、今日コンサートに行くことをもちろん伝えている。知り合いと一緒だとは言ったが、その知り合いが女性だとは伝えていない。でも少なくとも嘘はついてはいない。すべてを語っていないだけである。そしてすべてを語る必要などないのだ。たとえ夫婦間のやりとりであっても。

妻には嘘をつきたくないからね、と僕が言うと、ナナタンは含み笑いをした。

そうするうちにアナウンスが流れ、ホールへ続く大きな扉が開いた。ナナタンと僕はホールに入り、前から7列目の席に着いた。少しすると照明が落ちて、それからステージに演奏者たちが現れた。拍手が起こり、それがやむと音楽がはじまった。

ソリストの若い女性ピアニストは我々と同じ下関市の出身だった。独特なリズム感を持っていて、その個性のためラフマニノフの音楽は一種異様なものに変貌していた。興味深い演奏だったが、ナナタンに言わせると、彼女も演奏を楽しんではいたが、ピアニストはまだ技術的に粗削りで、メゾフォルテがフォルテのように聞こえるという。僕にはそんな細かい違いはわからない。ナナタンはやけに鋭い耳を持っている。彼女が音楽について語る感想を聞くとき僕はいつも驚かされてしまう。同じコンサートを鑑賞していたのに自分は何も聞いていなかったのではないかという気にさせられる。

 

コンサートの後、ナナタンが部屋に来ないかと誘った。僕はどこかでコーヒーでも飲もう、と提案したのだが彼女は嫌がった。ナナタンはもともとなぜかカフェやレストランやファーストフード店をあまり好まない。

そのとき、時刻は8時半で、9時すぎには帰宅すると妻に伝えていたのに、僕はナナタンの誘いを受けていた。それでタクシーに乗って彼女が住むマンションまで行った。

 

💎25 白い部屋に住む女

 

女はマンションの15階に一人で住んでいた。その部屋にはじめて足を踏み入れたとき、男は呆然として立ちすくんだ。室内にある何もかもが白かった。冷蔵庫もテーブルも食器もみんな白。化粧台もスピーカーも電子ピアノも白、コードやケーブル類には白いテープが巻き付けてあったし、フローリングは白いペンキを塗ったすのこを敷いて覆い隠されていた。壁と天井はもともと白かったが、窓枠のステンレスやクローゼットの扉や部屋のドアなどはみんなペンキで白く塗られていた。

かまくらの中みたいだ、と男が言うと、女は「誰もが同じことを言うものだわ!。と言って笑った。

君は白が好きなんだね。

そういうわけじゃないわ。

じゃあ何でここまでするの。

「せめて部屋だけは白く、ってこと。

不可解な答えだったので、男はそれについての意見を口にするのは留保した。

でもこの部屋は賃貸だろう?こんなにペンキを塗ったら、まずいんじゃないの、と男が言うと、女は、「そんなのは出ていくときにお金を払えばいいのよ!なんでもお金で解決できるのよ!お金さえ払っておけば連中は何も言わないのよ!」と言った。

「どう、この部屋。落ち着くでしょう」と女が言って、男はうなずいた。

 

二人はその白い部屋で多くの時間を共有した。めったに言葉は交わさず、もっぱら黙って音楽を聴いた。彼女は静かな電子音楽を好み、人の声が入った音楽は決して聴かなかった。泡のような音が漂う室内で、二人は物思いにふけったり、意味もなく虚空を眺めたり、まどろんだりした。ときどき女は自身の思い出話を断片的に語ったりもした。真っ白な部屋に、女の囁くような声が響くとき、それは架空の詩のように聞こえた。

 

26 借りっぱなしのゲーム

 

娘のユイが泣きながら帰ってきた。理由を聞くと学校の帰りに友達の「レイカちゃん」と喧嘩したのだという。娘はレイカちゃんからゲームソフトを借りてそのまま返すのを忘れていたのだが、そのことをレイカちゃんが娘に指摘し、娘が言い訳したり言い返したりしているうちに、喧嘩になったということだった。

どう考えても娘のほうが悪いので僕は叱った。そして今からそのゲームソフトをお友達のところへ返しに行こう、と娘に言った。娘は泣きはらした目をこすりながら、僕に手をひかれて友達の家へと向かった。ユイは一言も口を利かなかった。途中にケーキ屋に立ち寄ってショートケーキを買った。

レイカちゃんの家に着いてインターフォンを鳴らすと、レイカちゃんのお母さんが出てきたので、僕は夜分の訪問を詫び、ケーキを差し出した。そして娘のユイが非常な迷惑をかけたことを詫びた。レイカちゃんのお母さんは、いいんですよ、ゲームなんてたくさんあるんだから、それにあの子、今はこのゲームには飽きて、別のゲームばっかりやってるし……と言って、お母さんが階段の下から二階に呼びかけると、髪の長い少女が降りてきた。ユイはきまり悪そうにゲームを差し出し、それから小さな声で謝った。レイカちゃんはゲームを受け取り、娘の謝罪に対して、いいよ、と言った。僕からもレイカちゃんに謝り、レイカちゃんは、かまいませんという意味で小さく頷いた。そのあと我々は挨拶して立ち去った。

帰り道には川のそばを通った。鳥か虫かわからない小さな生き物が空間を円を描くように飛び回っていた。夜風は涼しく、空は濃い紫色をしていた。

借りたものは返さないとだめだよと僕は言って、ユイは答えず、川を見下ろしていた。人の物を借りっぱなしなのって、あんまり気分が良くないからね。

ユイは答えない。

「どうして返さなかったの?」

ユイはやはり答えず、川面を見つめていた。街灯が反射して黄色く水面に揺れている。

 

27 💎借りっぱなしの本

 

小学校のころ、ハルは友人から本を借りて返さなかったことがある。彼は特にその本が気に入っていたわけでもないし、貸してくれた友人に意地悪をしていたわけでもない。返すという行為が思いつかなかった、という感覚がもっとも近い。

友人はことあるごとにハルに早く返すようと催促していた。その催促はだんだん真剣になっていった。友人は怒っていたのだ。怒るのは当然である。それでもハルは返そうとしなかった。その本を家の本棚にしまいっぱなしにしていた。友人がどれだけ訴えても、なんとも思わなかった。罪悪感さえ覚えなかった。

 

ある日の朝、学校にその本を持って行ったのは、ただの気まぐれだった。このまま返さずにいたら親や先生に言いつけると友人に脅されてはいたが、そのことを怖れたわけではなかった。それは気まぐれとしか言いようがない。家を出る前、何となくその本のことを思い出し、それで特に何を思うでもなく、それをランドセルに入れて学校に向かったのだった。

 

教室へ向かう途中の廊下で、本の持ち主の友人と出くわした。ハルは挨拶も何もなくいきなり、彼に本を差し出した。

友達は一瞬意外そうな表情をして、それから笑みを浮かべた。「何かと思ったよ。何をくれるのかと思ったよ。いきなりどうしたのかと思ったよ」などと言った。ハルが本を返す気になったことが、彼にはよほど意外であるらしかった。そしてようやくその本が戻ってきたたことを安堵してもいた。

そのあと、ハルは自分でも思いもよらない行動に出た。つまり友人に渡した本を、ひったくって奪い返し、それを真ん中から二つに引き裂いたのだった。

友人はあっけに取られていた。ハルはさらに執拗に本を破り、ページを切り離して細かく引き裂いた。紙屑が廊下に散らばり、通りかかった他の児童が不審そうな目つきで彼らを見た。最後まで友人は何も言わなかった。少なくとも何か言われた記憶はハルにはない。

 

そのあとハルと友人は同じ教室に入り、授業を受けた。

不思議なことに、ハルはその件について、誰からもどんな処罰も受けなかった。先生や親に叱られることはなかったし、本を貸してくれた友人とも、険悪になって二度と口を利かなくなるとかいったこともなく、ごく普通に関係を維持した。それはハルにとって不思議な思い出である。

 

28 古本屋で

古本屋で、いろんな本を引っ張り出して少し読んで戻したりしながら、長い時間店にいた。店は狭く、そのうえ床には本がつまった段ボールがあちこちに置きっぱなしにされていてひどく歩きにくかったし、別に欲しい本も見当たらなかったが、何も買わずに出るのも気が引けて、どうしようか迷っていたのだった。

するとどこからか、誰かがぶつぶつと文句を言うような声が聞こえてきた。ときどき舌打ちのような音も聞こえた。店内に客は僕のほかに一人もいない。ふと顔を上げると、店主がカウンターの奥から鋭い目つきで僕のほうを睨みつけていた。彼はなぜか僕に腹を立てているようで、悪態をついていたのだ。でも声は小さく不明瞭で聞き取れなかった。「…するな」とか「……だろうが」とか、そういった言葉の断片がときどき聞き取れるだけだった。

後で知ったことだが、その店における僕のふるまい(棚から本を取り出して値段だけ確かめてまた棚に戻すことを繰り返す行為)は、昔ながらの古本屋では疎まれることがある。僕は普通の本屋とか、いわゆる「新古書店」にいるときようにふるまっていて、それがおそらく店主の気に障ったのだ。

僕は適当な本を手に取ってカウンターへ向かった。目の前に立った僕を店主は睨みつけた。店主は太っていて、内臓かどこかを病んでいそうな土色の顔をしていた。肌は茶色く乾いていて、ところどころに深い皺がまるでひびのように走っていた。そのひび割れに埋もれるように、小さな黒い実のような目が光っている。その目は僕をまっすぐ睨んでいた。彼は明らかに腹を立てていたが、それでもいちおう僕を客として遇しようとはしているらしく、少なくとも悪態を吐くのはやめた。そして重そうに腕を持ち上げて、僕がカウンターに置いた本を手に取り、折り返しに書かれた値段を確認してから、聞き取りにくい声で金額を告げた。500円。

僕は財布から100円玉を5枚取り出し、その5枚の硬貨を、店主の胸のあたりをめがけて投げつけた。硬貨は店主が着ていた深緑色のジャンパーに当たり、そのまま床に落ちた。店主はなぜか無反応だった。怒鳴ったり、怒りをあらわにすることもなく、表情も変えずにただ無言で本をカウンターに置いただけだった。お金を拾おうともしなかった。そのあと彼は僕の存在など忘れてしまったかのように目の前のどこかを見つめていた。

帰る途中、欲しくもない本を買ってしまったことの後悔が押し寄せてきた。気持ちを落ち着けるために僕は意味もなく街をでたらめに歩き回った。途中で鶏卵焼きの屋台を見かけたので一袋買った。それは普通はベビーカステラと呼ばれる小さいボール状のカステラだが、僕が住む地方では鶏卵焼きという呼び名で通っている。

帰宅時間は予定より30分ほど遅れた。玄関のドアを開けると息子のケイが駆け寄ってきて、妙に機嫌がよさそうだったので、何か言うのを待ったのだが、別に言いたいことはないらしく、ただにこにこしている。なんかいいことあった、と僕は尋ねたが、息子はやはりただ笑っていた。別に何もないらしい。

鶏卵焼きを買ってきたよ、と言うと、それを聞いたリヴィングでテレビを見ていた娘のユイが悲鳴に似た高い声をあげて駆け寄ってきた。やったあ、鶏卵焼き、などと彼女は言って、弟も一緒に喜びはじめた。ユイとケイは鶏卵焼きが大好物なのだった。

コーヒーいれるわ。と妻が言った。そのあと僕たちは鶏卵焼きを食べながらしばらくのんびりした。そのとき僕は妻に、クリーニング屋の衣類を引き取ってくれたかと尋ねられ、はじめてそのことを思い出してた。それで妻は僕の忘れっぽさをなじりはじめたのだが、そばにいた娘のユイが、僕を擁護してくれた。つまり娘に言わせれば、僕がクリーニング屋に行くのを忘れたからこそ、鶏卵焼きの屋台の前を通りかかることができたのであって、そうしなければ今頃こうして鶏卵焼きを美味しく食べることなどできなかった、だから僕は悪くない、ということだった。娘は意外なほど僕と妻との会話を聞いていることがある。

ユイとケイは大好きな鶏卵焼きをほとんど食べまくっていて、そんなに食べたら夕食が食べられなくなる、と妻に注意されていた。

🌙

夜、僕は例の古本屋で買った本を読んでいた。すると妻がやって来て、声をかけてきた。「『鉛のような無気力』?…変なタイトル。」「うん」「どんな本なの?」「小説だよ」「有名な作家?」「いや、ぜんぜん知らない」「面白い?」「うん、…今のところはそうでもない」「好きな作家の本を、買えばよかったのに」「置いてなかったんだ。でも何か買わんと、店を出づらい雰囲気だったから」「どこの店?」「あそこの、駅前の古本屋」「欲しいのがないんやったら、買わんで帰ればよかったのに」「何だか店主が怖そうな人で、買わずに出たら怒られるんじゃないかと思って」

僕がそう言うと妻は笑っていた。そのあと妻が、「ねえ、ここ汚れてる」と言って、本の裏表紙を指さした。見てみるとそこには茶褐色の小さな汚れがあった。血の跡みたい、と妻が言って、僕も同意した。それは本当に乾いた血の跡のようだった。

そのあと妻は眠ってしまった。彼女はときどきうらやましくなるほど異常に寝つきがよい。僕は午前1時過ぎまで本を読み続け、残りは70ページほどだったのだが、少し休むつもりでページに指を挟んで目を閉じていると、いつの間にか眠っていた。

29 テレビ破壊

彼は幼くして両親を亡くし、親戚の家に引き取られて育てられた。親戚の人々は概して彼に親切だったが、彼は完全には心を開かなかった。

ある日、彼は家に一人だった。親戚の人たちは彼を置いてどこかに出かけていた。意味もなく家の中をあちこち歩きまわっていると、戸棚にボーリングの球を見つけた。なぜそんなものが家にあったのかは知らない。親戚の誰かがおそらく、ボーリングを趣味としていたのだろう。

彼はそれを戸棚から取り出し、抱えて居間へ行った。居間には家で一番大きい40インチのテレビがある。彼はそのテレビを床に倒し、それからその黒い画面の上にボウリングの球を投げつけた。硬い音がして画面に細かい亀裂が走った。何度も同じようにした。一打ごとに機械は歪み、部品が砕けて飛び散った。

彼はその機械を憎んでいた。というより怖れていた。そこからいつも響く笑い声が彼には怖ろしかった。画面に映し出される人たちはたいていいつも笑っている。何かあるたびに大声をあげて笑うし、そうでなくても微笑のようなものを浮かべている。彼にはそのことが怖かった。人はそんなに頻繁に笑わなくてはならないのか、可笑しいこととはそんなにしょっちゅうあるものなのか、そういったことを考えると彼の知性はしばしば混乱をきたした。
親戚の人たちはテレビが大好きだったので、家にいるときには画面は必ず何かの番組を映し出していた。彼はいつかあのテレビを壊してやろうとかねてから考えていたわけではない。戸棚を開けて、きらきら光る黄色いボーリング球を見たとき、その衝動はいきなり彼を襲った。これで壊せばいいんだ、簡単なことだ、と思った。

そのあとあらためて、居間のテレビを目にしたとき、平べったくてのっぺりとした黒い画面は、いかにも何か大きくて重いもので叩き壊されたがっているように見えた。そしてそれを実行するのに、ボウリング球というのはまったくふさわしい道具であった。

彼はひとおとり破壊を終えた。ガラスの破片や薄い板状の部品や小さな精密機械がカーペットの上に散らばっている。テレビと呼ばれていたあの物体は今ではただのわけのわからないがらくたに成り下がった。その機械は考えていたよりもずっと脆かった。

親戚の人たちが帰ってきて居間の惨状を目にした。彼らはとくに彼を叱りつけたりはしなかった。しかしそれ以来、彼は親戚から基本的に無視されるようになった。

それから1か月後、彼は家を追い出された。

30 悲劇のヒーロー

彼は家族を失い、仕事も失い、孤立無援で天涯孤独の一人きりで日々を送っている。今日もまた、何もする気にならずに、長い時間ベッドに横たわって時間をやり過ごしていた。彼は昔読んだ小説を思い出していた。その小説の主人公は、不品行を繰り返しさんざん周りの人々を苦しめ傷つけた挙句、何もかも失って一人きりになる。妻と子供とは離れ離れになり、住んでいた家を追われ、地位も名誉も失い、粗末なアパートでひとり暮らしをはじめる。

その生活は悲惨だった。つまり作者は読者に悲惨だと思わせようとしていた。家族もいない、浮気相手も不倫相手もいない、賭け事に興じる仲間もいない、収入もろくになく、まともな食事もとれず、好き勝手に生きた挙句悲惨な結末に行きついた、同情の余地もない哀れな男。

でも彼ははじめて読んだ時から、すべてを失った後の主人公に共感した。破滅してすべてを失って一人きりになるというその悲劇性に惹かれていた。それは一種の願望だったのかもしれない。彼はいつしか、人生におけるさまざまな場面でしばしば、不合理な、愚かな選択を取るようになっていた。まるで自らの人生をあえて損なおうとするかのように。あの主人公が置かれたのと同じ境遇に、自らを落ちぶれさせたがっているかのように。

そして今、その願いはほとんど叶った。今彼がおかれた境遇はあの小説の主人公ととてもよく似ている。でも特に喜びのような感情は沸いてこない。

31 虐待のある世界

娘が嫌に沈んだ調子でいたのでどうしたのかと問うと、猫をいじめる人がいる、と答えた。それで僕は、家で飼っている猫のBWが、誰かに悪戯されたのかと思ったが、そうではないらしい。

そばにいた妻が事情を尋ねて、ユイは話しはじめた。なんでも学校から帰る途中、歩道の隅に猫の死骸を見つけたのだが、その猫は縄を首で巻きつけられた状態で死んでいたという。一緒にいた友達が、悪い人が虐めて殺したのだ、といった意味のことを言って、ユイはそんなことは信じられなかったが、友達があまりに怒っていたので、本当なのだと思ったらしい。

どうしてそんなことをするの、と娘は悲しげな声で言う。つまりどうして猫を虐めて殺すような人がこの世にいるのか、と彼女は疑問を投げかけているのだ。彼女は世の中に一般に存在する動物虐待を問題にしていたのだ。

その問いに答えることは難しかった。動物を虐待するのは、性質の歪んだ、ねじくれた異常な人たちだと決めつけてしまうことはできる。純粋に楽しみのために動物とか弱いものを虐めて喜ぶ人はいる。その事実は不愉快だがどうすることもできない。でもそうした人々だって、生まれながらにして残忍で異常だったわけではないのかもしれない。彼らもまたどこかで虐げられ傷つけられ、そのために自分より弱いものを虐めるようになったのかもしれない。それだけではないし、また別の可能性もある。たとえば死んでいたその猫は、どこかの家に入って悪さをして、家の主の怒りを買って殺されてしまった、といったことかもしれない。僕の知り合いに、決して動物が嫌いなわけではないのに、近所の犬の明け方の遠吠えのために毎日のように眠りを破られて、その犬に殺意を抱くようになった、と言った人物がいた。僕はその話を聞いて、もし自分が同じ状況に置かれたら同じことを考えるかもしれないと思った。つまり異常な人だけが動物を虐待するわけではない。

そうしたことを、6歳のユイにどう話せばいいのか僕は考え込んでしまった。

いつしか妻までいっしょになって怒りだしていた。許せない、同じ目に合わせてやればいいわ、そんなことした人の首を絞めてやりたいわ。

その憤りもまたもっともなものである。考えないようにするしかない、と僕は言った。残念ながら、そういう人はいる、動物を虐める人はいる、でも他にも残酷なことや不愉快なことって、世界には山ほどあるんだよ。僕らはたまたま目にせずに済んでいるだけなんだよ。そういうのにいちいち腹を立てていたらきりがない。猫や動物が大好きで可愛がっている人だってちゃんといるんだ。いや、そういう人のほうがもちろんずっと多い。だから無視するしかない。考えないようにするしかない。楽しいことを考えて、忘れてしまうのが一番だよ。

僕にはそんなことしか言えなかった。

 

世界は牧歌的な場所ではない。悪意や暴力はいたるところにある。ユイは今日そのことを知ってしまった。どんな子供も生きていく過程で世界が善意だけに満ちた場所でないことを知る。それは悲しいし残念なことだが、避けられないことでもある。これから先、娘も息子も生長するにつれ、さらに様々な悪意に触れることになるだろう。美しいものや綺麗なものばかりを見て生きることはできない。でも悪意や暴力に必要以上に関心を持つことは無意味な消耗だから、美しいものや、より善きものの存在を信じて、それを探して生きるほうがいい。そうしたことを僕はユイに言いたかった。

32💎生き物の死

ある日の夕方、ハルは一人で神社にいた。学校で嫌なことがあって、嫌な気分を引きずっていて、そういうときにはよく一人で神社に行くのだ。その場所はたいてい人けがない。その日もそうだった。ひっそりとした境内を歩き回っていると、ある木の下に何かが落ちているのを見つけた。近づいてみるとそれは大きな鳥だった。灰褐色の羽根で覆われた大きな鳥で、後で調べたところ、それはノスリという猛禽だった。鳥は負傷して飛ぶことができずに地面に横たわっている。翼の一部が血で赤く汚れていた。胴体の上に何か銀色の丸い物体が覗いていて、よく見るとそれは釘の頭の部分だとわかった。釘が鳥の胴体を貫通して地面に固定しているのだった。でもノスリはまだ生きていた。黒い眼球が細かく動いていた。

ハルは傷つけられたノスリに同情を覚えた。そしてその残酷な所業に憤った。鳥の胴体に刺さった釘を引き抜こうとして、ハルが手を伸ばしたとき、鳥はいきなり激しく動きだして首を大きく曲げ、ハルの手の甲を嘴で突いた。

ハルは驚いて手をひっこめ、少し後ずさった。鳥はすぐ静かになり、また動かなくなった。ハルは嘴で突かれた部分を見た。右手の親指と人差し指の間に、小さな傷ができていて、そこから血が流れていた。ハルはその傷口を押さえながら、再び鳥に歩み寄り、無言で見下ろす。鳥はもう動こうとはしない。ハルはもうその鳥に手をさしのべなかった。ほんの数秒前まで、彼は鳥を助けたいと思っていたはずだった。家に連れて帰って、両親に頼んで動物病院に連れて行ってもらえば、命は助かるかもしれない、と考えていた。でも今、別の思いがハルの頭を占めていた。

日は暮れていて、辺りには人の気配もない。その思いは、妙に硬い感触を持って、ハルの全身を駆け巡った。それはある可能性だった。自分はこの鳥を助けることもできるし、殺すこともできる。自分の意思次第で生き物の命をどうすることもできる。何であれ命というものがそんなにちっぽけで粗末なものに感じられたのは、生まれて初めての体験だった。大げさに言ってそれは世界が裏返るような感覚だった。ハルの肩はかすかにふるえていた。

気がついたとき、ハルは鳥の頭を踏みつけていた。硬いものが重なって砕けるような感触が、スニーカーの底から足に伝わった。彼は何度も、念入りにくまなく踏んだ。鳥の頭はすりつぶされて平たくなり、地面の黒い土とほとんど同化した。それはすでに完全に絶命していた。もう瞬きもしない。ハルの身体を嘴で突くこともない。どの部分も二度と動くことはない。時間が止まったみたいだとハルは思った。実際に、鳥にとって時間は永遠に止まってしまった。

神社は凍りついたみたいに静かだった。ハルはその静けさのなかに一人きりでいた。

33 ネズミ女を尾行する

 

ネズミに似た顔つきの女が、地下道でいつものように弾き語りをしていた。そのときオーディエンスは僕一人だけだった。すぐそばで見ると、女は思っていたより小柄だった。目の前に立っているのに女は僕にまったく視線を向けない。歌が終わって、僕は拍手をした。

「なんていう曲なのですか」と僕は尋ねる。

ネズミ女は僕の顔をちらと見て、すぐに視線を反らした。

「今歌っていた曲のタイトル」

「『遥かなる冒険』」

女の声は歌声に比べてずいぶん低かった。ちょっと驚いてしまうほど声が違っていた。

「良いタイトルですね。あなたが作った歌?」

女はほんのわずかに頷いた。

「いつもここで歌っていますね」

女は無言だった。いかにも不審そうな表情を浮かべていた。

「気になってたんです。素敵な歌声だなあと思って、いつも時間がなくてすぐ通り過ぎてしまうんだけど、いつかちゃんと聞いてみたいなあって思っていたんですよ」

女は何も言わない。

「他の曲もちゃんと聴いてみたいですね。あなたには、メロディーのセンスがある気がしますよ!」

「何か、ご用なんですか」と女が言った。

「あなたの歌に何かを感じたのです。だから思わず足を止めてしまったのです。僕はすでにあなたのファンなんだと思います。あなたの歌は僕を魅了しました」

ああ、そう、と女は言ったように思う。よく聞き取れなかったが。でも何となくその態度は先ほどよりよそよそしくはない。彼女にはおだてがきくらしい。自意識をくすぐられて警戒心をゆるめている。誰だって自分のことを天才だと信じて歌を作って歌うのだ。この女も例外ではない。

「どうかもう一曲歌ってくれませんか?今日は時間があるから、ゆっくり聞きたいのです」

もう終わりなの、とネズミ女は言った。そしてギターを肩から降ろした。

僕は千円札を彼女に差し出した。彼女は無視してギターをケースにしまおうとしている。

「受け取ってください。ほんの気持ちですよ。本当に、僕は感銘を受けたんです、あなたの音楽に。聞いていてなんだか懐かしい気分になったから」

女はお金を見ないふりをしていた。それで僕はギターケースにお金を投げ入れた。女は溜息をついたが、お金を取り出すこともなく、そのままケースを閉めた。

 

女が去ってから数秒後に、僕は歩き出した。地下道から地上に上がり、歩道を見渡すと、人混みの中にギターケースが見えた。小柄な女は群衆に埋もれてしまっていたが、ギターケースがちょうどよい目印になっていた。僕は少し距離を取りながら、ギターケースが視界から消えない距離を保ってあとをついて歩く。女は妙に足早にずんずん歩いていた。バスにもタクシーにも乗ろうとしなかった。女は見るからに前方にしか興味がないようで、僕は見つからないように注意する必要がほとんどなかった。

そのままアーケード街を通り過ぎた。彼女は細い路地に入り、そこには人けはほとんどない。小柄な彼女の後ろ姿がひどく頼りなく、無防備に見える。こんな人けのない道を、彼女のような若い女性が夜間に一人で歩くのは、危険なことだ、などと考えながら、僕は一人で笑みを浮かべていた。

突然女の姿が消えた。僕は一瞬戸惑ったがすぐに理解した。女は消えたのではなく、通り沿いに建つアパートに入って行ったのだった。女はアパートの階段を上りはじめていた。そのアパートは階段にも廊下には壁がなく、すべての階の部屋のドアは外から見えるようになっていた。僕は街路樹の陰に隠れて様子をうかがった。やがてギターを持った女は2階の廊下に現れ、いちばん奥の部屋の前まで歩き、そのドアの鍵を開けて中に入っていった。

僕は腕時計に目をやる。午後8時7分。そのあともしばらく、僕はその場に立っていた。しかしやがて通りの向こうから車がやってきたので何事もなかったようにまた歩き出した。

34 死ぬ時期(ナナタンとの対話)

 

ナナタンが言った。「昔、あなたは早死にするって言われたことがあるわ。

へえ。

10年後に死ぬ、って言われたの。しかも誕生日に、だって」

「ひどいことを言う人がいるもんだね。

「でも私、そんなに嫌じゃなかった。怖くもなかった。死が怖いのは、それがいつ訪れるかわからないからでしょう。10年後の誕生日だってわかってたら、別に怖くもないんだなっておもった。それにいろいろ便利だしね。計画も立てやすいし。その占いは、結局当たらなかったけど

当たらなくてよかった。

あなたは(死ぬのが)嫌なの?

少なくとも今のところは嫌だね。

どうして

僕は考えた。どうしてだろう?まだ人生に満足していないからだろうか、それともただ単に怖いのだろうか、まだ生に執着があるのだろうか?…

いつ死んだって結局、何かしら心残りはあるのよ。もしあなたが明日、35歳で死んでも、それとも100歳まで生きてから死んでも、人生に完全に満足することってないわ。後悔と未練を抱えてみんな死んでいくのよ。

痛かったり、苦しかったりするのが嫌なのかもしれないな。

それは受け入れるしかないわ、楽な死なんてめったにないのよ。ほとんど全員、苦しんだ果てに死ぬんよ。今まで死んだ人はたいていみんなひどい恐怖や痛みや苦しみを味わいながら死んでいった。みんなそうなんだし、あなただけじゃないんだから、ことさらに怖れる必要なんてないの。

そんなに単純に、僕は割り切れないなあ。

私は老いることのほうが怖いわ。長く続く生なんて怖ろしいばかりだわ。生きるほど人は多くのものを失ってゆくのよ。多くを失った後でもなおさらに生が続くなんて恐怖でしかないわ。それは地獄のようなものだわ。だからとっととおさらばしたいの、この世界に、老いを知らないままで。私はなるべく早死にするように、あえて健康を損なうような生活をしているのよ。あなたもそうしなさいよ。

僕は口ごもった。

あなたには家族があるものね。可愛いお子さんもいるものね。私にとってこの世界は、必要以上に長居する価値のあるものではないのだわ。

悲観的なんだね。

世の中の人が楽天的過ぎるのよ。みんな生というものを賛美しすぎてるのよ。

そのあと彼女は呪文を唱えるように、あるいは怪しげな節回しの歌を歌うように、奇妙な一節を口走ったが、その言葉は僕には理解できなかった。

35 新しい椅子

 

ソローの『森の生活』を読み返した。読み終えてまず思ったのは、新しく椅子が必要だ、ということだった。椅子を作ろう、と思った。思うだけでなく声に出してつぶやいた。「椅子を作ろう」(僕は非常にしばしば独り言を口にする)でもなぜ『森の生活』を読んで椅子作りを思い立つのか?本の中でソローが椅子を作ったとかそんな記述はない。椅子についての言及さえ別にない。何度か椅子という単語自体は出てくる。でもどう考えても作中で重要な意味を持ってはいない。それなのに僕は読み終えて最初に椅子を作ろうと思った。それはなぜなのか?そういえば最近、あるインテリア雑誌で、椅子のDIYについての記事を読んでいた。さらに近所の工務店の前を通りかかったとき、「ご自由にお使いください」と書かれた張り紙の下に、いくつかの不要な材木が置かれているのを見かけて、あれを使えばあの雑誌の椅子を作れるな、という考えが頭をよぎったことも思い出した。つまりそういう背景はあったのだ。僕の中で準備されていた。そして『森の生活』が最終的に背中を押したらしい。

 

次の日、僕は例の工務店へ出かけたのだが、先日見かけた材木はなくなっていた。いつもなら僕はその時点であきらめていたはずだった。しかしどういうわけか、僕の椅子づくりに対する決意は固かった。何が何でも引き下がるわけにはいかない、という気分だった。僕は一度帰宅してから車で近くのホームセンターまで行き、そこで必要な材木を購入した。

 

帰宅したあと、例のインテリア雑誌の椅子づくりの記事を見ながら、レシピ通りに椅子を制作した。木を切って接着剤で組み合わせるだけの簡単なもので、特に苦労することもなくすぐに完成した。背もたれもない箱型の簡素な椅子だが、窓辺に置くとそれなりにおしゃれに見える。

僕は満足した。ある読書体験から生まれた、形と重みのある成果物に。

36 理想の窓(結婚式場にて)

 

結婚式に出席した僕は退屈していた。しかし社会にはこういう退屈なイベントが満ちている。それから逃れたければどこかの山奥の穴倉で一人で暮らすしかない。しかし穴倉で暮らすのも悪くない気がする。子供のころ、しばしば僕はそんな夢想をした。森の奥に家を建てて一人で暮らすとか、海辺の洞窟に閉じこもって生きるとか、そういった想像である。でも大人になるにつれ、そうした暮らしはむしろ普通の生活よりもハードかもしれない、と思うようになり、それでも漠然とした憧れだけはいまだ残したまま、すべてを捨てて山にこもる勇気を得ることはできず、気がつけば一個の平凡な社会的存在に成り下がってしまった。そのことは悲しくもあり、残念でもある。そんなことを考えながら振舞われた料理を食べていると、隣の席の男が話しかけてきた。

「かつて私は理想の窓を探していた」見知らぬ男の切り出しはそんな風だった。

窓ですか、と僕は牛フィレステーキをほおばりながら、おうむ返しする。

「窓だよ」と男は言う。そして重々しく頷く。男は柔道家みたいながっしりとした体格をしていた。声の感じから、僕よりだいぶ年上に思えたが、妙に動作がきびきびしていて、顔だちも整っているので若く見える。

「誰にだって理想の窓というものがある。そうだろう」

僕は男が誰なのか知らない。たまたま隣り合わせただけなのだった。僕はコンソメスープを一口すすり、わかります、という顔をしてうなずいた。実際には何を言っているのか全然わかっていなかった。

「理想の窓を探して、いろんな家に住んだよ。一時期、そのことだけが人生の目的だった。時間と金をふんだんに使って、いろんな土地のいろんな家に住んだんだよ。ただひたすら理想の窓を見つけるためにね。どんな家にも窓はあるんだ。たとえ地下でもね。これは驚くべきことだよ。一度地下の部屋に住んだことがあるんだ。その部屋の窓は天井の近くに一つあるだけだった。そこから見えるものと言ったら歩道を歩く人々の足だけ。でもそれはそれで面白かった。そうかと思えば、壁という壁が窓に覆われた家もあったよ。窓だらけの家だよ。そんな風に、私は多くの窓を体験してきたんだよ。高速道路沿いの窓、隣のビルの壁に覆われた窓、濁った川を見下ろす窓、静かな森林を映し続ける窓、海沿いの窓。いろんな窓に出会った。数々のお気に入りの窓……

男はそれら一つ一つの窓を思い起こすように、どこか遠くを見るような顔つきをした。

窓なんて何が、そんなに面白いんですか、と僕は言った。

「ああ、何て言葉だ、ひどいよ。でも君のような人間が大多数を占めているのだろう。人々は窓というものにさほど関心を向けていない。家に当然備わる機能の一つだという認識しかない。そうじゃないか?ねえ君、窓というのはそんなに単純なものじゃない。それは神聖で、特別で、哲学的な意味さえはらむものなのだよ。どうして君はその事実に目を向けないんだ。どうしてそのことを知らずにのうのうと生きていられるのだ。私はそれが悲しい。換気とか採光とかそうした目的のためだけにあるものじゃないんだよ。君は長い時間、たとえば半日ほど、窓辺で何もせずに佇んだことがあるか?ないんだったら、二度とそんな偉そうな口はきかないでくれ!

僕は謝った。

「窓というのは特別なものなんだよ。冷ややかなガラスは透明な膜として私を守りつつ、同時にやんわりと私を世界から締めだしている。だから窓辺にいるとき、私はたとえば風の冷たさを感じることはできない。しかし見るという行為によって外の世界と関与することはできる。そうやってごく奥ゆかしい形で、私は外の世界と相互に干渉しているんだ。そういうことはドアにはできない。ドアは開くか閉じるかしかないからね。閉じてしまえば外とはきっぱり遮断される。開けてしまったら、もう靴を履いてどこかへ出かけていくしかない。オンとオフしかない、単純な、面白みのないやつだよ、ドアってやつは。そこへいくと窓は何と素晴らしいのだろう。

男はデザートのプリンを一口食べ、さらに語る。

「窓辺で過ごす時間は特別だよ。そのとき、時間は普通には流れない。というより時間に対して、私はひどく敏感になれる。一秒ごと、一瞬ごとの変化が、じかに身体に感じられるのだよ。時間が巨大なこんにゃくみたいに背中を押す、その感触がはっきりと感じられるんだよ。いいから窓辺に半日佇んでごらん。きっと君にもわかる。我々を未来へと運ぼうとする、あの時間の流れの重みが、必ず感じられるはずだよ。」

 

いつしか結婚式は終わりに近づいていた。

 

37 午前5時の笑い声 

あの結婚式の男から、窓の話を聞いた後、僕が窓辺で過ごす時間は増えたように思う。そうやってすぐに他人から影響を受けてしまう。でもさすがにまだ、半日窓辺で過ごしたことはない。

この間自分で作った椅子は窓辺で時間を過ごす用途にぴったりではあった。小さくて軽いために持ち運びが容易で、どの窓辺にも持っていくことができる。

ある朝、やけに早く目が覚めたので、家で一番眺めの良い二階の廊下の窓辺に座って、ぼんやりしていた。するとどこからか人の笑い声が聞こえた気がしたので、窓を開けて耳を澄ますと、確かに声はそこにあった。その声は道路を挟んだ向かいの家の、開け放たれた窓から、聞こえてくるようだった。大人の、それもかなり年齢を重ねた男の笑い声だった。老人の声のようにも聞こえる。まるで楽しくてしょうがなくてはしゃいでいるといった調子で、ひとりで大声で笑っていた。テレビか何か見ているのだろうか、そうだとしたら、それはいったいどんな愉快な番組なのだろう。声はそのあと30分ほども続いた。笑い方は機械的なまで一様で、テンションも最後まで落ちなかった。しかし突然途絶えて、そのあとには早朝の静寂が戻ってきた。

向かいの家に住む家族と面識はあったが、声の主に思い当たる人物はなかった。僕がいつもなら眠りこんでいるこの時刻に、いつもあの笑い声は響いていたのだろうか、それとも今日限りのことなのだろうか。何にしてもあの結婚式場で、あの奇妙な男が窓について語るのを聞いていなければ、こんな風に早朝に窓辺で時間を過ごすことはなかったはずで、したがってあの奇妙な笑い声を聞くこともなかった。その事実はなぜか僕を考えこませる。大げさに言って悪しき運命のようなものを感じさせる。できることならあんな異様な笑い声の存在は、知らないままでいたかった。

 

38 💎殺す価値もない虫

王様は蝶の飼育を道楽としていた。城の庭の一角にビニールハウスを設け、しょっちゅうそこにこもっては蝶の繁殖と生育に没頭した。ある日王様は新しい蝶の生育に成功した。その蝶は異常なほど繁殖力が旺盛で、またたくまにおびただしい数に増殖した。それはビニールハウスを飛び出し、お城のあちこちを飛び回るようになった。それは決して美しくはない、むしろ醜悪な蝶だった。控えめに言ってそれは羽根の生えた蛆虫のようだった。飛び方も普通の蝶とは違って、ひらひらと揺れるようにではなく、不自然なほど直線的に飛んだ。

いつしか蝶は城下町にまではびこるようになっていた。その数があまりに多いので、人々の生活に支障をきたすほどだった。人々はその蝶を嫌った。しかし大っぴらにはそのことを口にしない。殺したり傷つけたりすることもなかった。何しろ王様のお気に入りの蝶なのだ。もし蝶に危害を加えたりして、そのことが王様の耳に入ったら怖ろしいことになるだろう。蝶に関する限り、王様は節度を保つことができない。以前にも王様の蝶に手をかけて、ひどい目にあわされた住人がいる。噂ではその人物は拷問に近いようなひどい罰を受けたらしい。

だから人々はいくら疎ましくてもその蝶に手出しできなかった。せいぜい不愉快そうな表情を浮かべて、軽く手で振り払ったりすることしかできなかった。

あるとき、一人の男が突如として城下町から姿を消した。町では奇妙な噂が流れた。なんでも消えた男は、例の王様のお気に入りの新種の蝶を殺してしまったのだ。そのことが王様の耳に入り、捕えられ処刑されたという噂だった。

それは噂でしかなかった。でもおそらく真実だろうと多くの人が思った。あの蝶気ちがい王様ならやりかねない。まして王様はあの蝶を特に気に入っていた。死刑だってあり得ないとは言えない。

でも蝶を殺しただけで死刑というのは、あまりに異常で理不尽な所業である。人々は怒り、嘆いた。それでもやはり誰も大っぴらには王様を非難することはできないのだった。

やがて城下町から逃げ出す者が続々と現れた。蝶を殺しただけで死刑にされるような国からは逃げたほうがいい。人々がそう考えるのも無理もないことである。しかしそこから逃げ出すのも容易ではなかった。国は山と谷と大きな河とに囲まれていて、最も近い集落へは100キロ以上もあり、そこへ至る道も相当に険しい。それは一種の隔絶された土地であり、移住を考えただけで、たいていの人は暗澹たる気持ちになる。

だからたいていの人々は耐えるしかなかった。ただの蝶なのだ、醜悪なだけで特に害もない、わざわざ殺す価値もない虫なのだ。気にしないようにしよう、いないものとしてふるまおう、……自らにそう言い聞かせつつ、人々は生活をつづけた。

しかしそうした抑圧した気分は心を荒廃させる。人々は酒に溺れ、いつも苛立ち、ことあるごとに暴力をふるうようになった。犯罪が多発し、日に日に空き家は増えて、景色まで荒れ果てていった。

蝶たちは今日も元気にそこらじゅうを飛び回っている。その数は増えに増えて、いまや空を覆いつくさんばかりだった。王様は毎日バルコニーからその光景を満足そうに眺めている。

39 福岡へ

僕は仕事の打ち合わせのために福岡市を訪れていた。夜中、ホテルの部屋で眠っていたとき、物音で目が覚めた。太鼓を叩くような音を、聞いた気がしていた。しかし耳を澄ませても、そんな音は聞こえてこない。ときどき窓の下の道路を走り去る自動車の音と、そして室内に響く低い唸りのような空調の音、部屋にあるのはそんな音ばかりだった。

だいたい誰が夜中のホテルで太鼓など叩くというのか。

僕はベッドから出て窓辺に立ち、外を眺めた。眼下に街の明かりが点々と散らばっている。黒い鏡のようになったガラス窓に、自分の顔が映っていて、その上に明かりは斑点のようだった。

眠くなかったし、再び眠ろうという気分にもなれなかったので、着替えて部屋を出て、廊下をあてもなく歩きまわった。廊下はもちろん無人だった。宿泊客はみな部屋に閉じこもって眠っているのだ。僕は家にいる妻と子供たちのことを思った。彼らもきっと満ち足りた眠りをむさぼっていることだろう。

廊下の端にベンチがあったので、僕はそこに腰かけ、しばらくぼんやりと物思いにふけった。それから、いつもポケットに入れているA6サイズのノートパッドと鉛筆を取り出して、絵を描きはじめた。夜中のホテルの廊下には、特に描きたいと思えるものはなかったので、何も見ず何も考えずに、ただ右手が導くところに任せた。線がさらなる線を呼び、それらが重なり合い交差して、物体を形作っていった。紙の上に何が現れるか、僕自身にさえ予測がつかない。即興的なそういう描き方は僕の主たる暇つぶしである。紙の上にいくつもの線を走らせていると、僕は時間を忘れた。

ふと顔をあげたとき、すぐそばに人が立っていた。それは女だった。僕は絵に没頭していたので、いつからその女性が、そこにいたのかわからなかった。女は無言で僕を見下ろしている。ひどく色白で痩せていたので、最初は幽霊かと思ったが、顔がふっくらしていて、ほっぺたが膨らんでいて、その顔立ちはどことなく漫画的で滑稽だったので、別に怖くはなかった。

よく見るとその女の顔に見覚えがあった。数時間前に僕はその女とホテルの階段ですれ違っていた。チェックインを済ませて部屋に向かう途中のことだ。ホテルの階段で人とすれ違うことは滅多にない。たいていの人々は階段など使わずにエレベータを利用する。だから彼女のことは覚えていた。その女と深夜の廊下で再会したのだった。僕は女が口を開くのを待ったが何も言わないので、また絵を描く作業に戻った。もう一度顔をあげたときには、もうそこには誰もいなかった。

40 💎彼女の瞳には三日月が映っていた

上手ね。あなた画家なの。と女が言った。

仕事で絵を描くことは多いが画家ではない、と男は答えた。

 

それは何の絵?何かの道具?

架空の機械ですよ。僕が想像した機械。

目的もなくただ作動するだけの機械なんです。すごく複雑な仕組みで、でも何の役にも立たない。

 

2人は深夜のホテルの廊下にいた。男が廊下の端のベンチに座って絵を描いていたところに、女がどこからともなく現われて、彼に声をかけたのだった。彼らはお互いのことなど何も知らない。

あなたは何をしてたのですか、と男が尋ねた。

散歩してたの。

ホテルの中で?

そう。いつも知らないホテルに来るとその中を隅々まで歩き回るの。子供のころから、いつもそうやって遊んでいたわ。姉と一緒に

男は頷いた。

私はその冒険が――私と姉は、ホテルを探索することを「冒険」って呼んでいたの――大好きだったから、大人になっても同じことをやるのよ。

じゃあ今日も、お姉さんとご一緒なんですか

え?まさか。姉はいないわ。

そう。

姉は死んじゃったから。自殺したの。ずっと昔に。

女がなんでもないことのように言うので、男は女の顔を見た。その顔に表情らしい表情はない。

公園の桜の木の枝で首を吊ったの。

何と言ったらよいかわからず、男は黙っていた。

私が死体を見つけたの。その公園は、家からけっこう離れていたんだけど、どうしてそのとき私がその公園を捜してみようと思ったのか、後で考えると不思議だった。ほとんど行ったこともなかったのにね。明け方に姉の姿が見えないことがわかって、そのあと何かに導かれるみたいに私はその公園に行ったの。そして桜の木の枝にぶら下がっている死体を見つけた。そのとき姉はたったの15歳だった。

女はかすかなため息をついた。男は黙っていた。

ねえ、ホテルって、いろんな不思議なものがあるのよ。知ってる?

たとえばどんな?

幽霊みたいな人影とか、人魂みたいな光を追いかけたり、暗くて不自然なほど長い、トンネルみたいな通路を歩いたりとかね。そんなのを何度も見かけたことがあるわ。

素敵なお話ですね。

信じてないでしょう。嘘だと思ってるでしょう。馬鹿にしているんでしょう。

そんなことないですよ。

どんなホテルにも、そこにしかない空気というか雰囲気っていうかそういのがあるの。ホテルというのはいろんなところから集まってきたいろんな人たちが、それぞれが抱えたものを、そこに残していく場所だから。いろんな感情や思いが、部屋の中や、ロビーやレストランや、廊下に、階段やエレベータの中に、たまっているのよ。沈殿しているのよ。それがある特殊な空気が生むんだわ。私はそう思ってる。私はその空気が好きなの。その空気はいつも懐かしい。

 

そのあと彼らは屋上のバーに場所を移してしばらく語った。バーを出たあと、男は女に、君の部屋に行ってもいいかと尋ねた。女は拒まなかった。

 

🏨

 

部屋で二人きりになると、彼女なぜか先ほどまでより傷つきやすそうに見えた。

あなたって結婚しているんでしょ、と女が言った。

そうかもね、と彼は答えたが、薬指に指輪をしているのでそのことは一目瞭然なのだった。

いつもこんなことしてるの?

こんなことって。

旅先で女を引っかけるようなこと。

成り行き次第だよ。誰かと出会う機会があって、より親しくなれる可能性があるとき、あえてそれを拒むようなことはしないんだ。僕はそういうスタンスで生きているんだ。その場合、結婚してるとかしてないとか、そんなのはどうでもいいことなんだよ。

そんな意見、奥さんが賛同してくれるかしらね。

男は肩をすくめた。女は呆れたようにため息をついた。そのとき彼女の瞳には三日月が映っていた。

 

女が眠ってしまったあと、男はその顔を眺めながら、息子が以前に作った粘土細工の人形を思い出していた。その人形の顔は、あらゆる凹凸が極端なほど隆起していて、そのために滑稽だった。窓の外の三日月はいつしか見えなくなっていた。女は何も知らずに、粘度人形と同じ顔で眠っている。

 

彼はノートパッドを取り出し、その顔をスケッチしはじめたが、途中で眠くなったので止めて、そのまま眠った。

朝になって女と別れた。お互いに名前も知らないままだった。書きかけの女の顔のスケッチだけが、彼の手ものとに残った。暗い部屋で眠気をこらえながら描いたその絵は、まるで人の顔に見えない。ただでたらめな線が飛び交っているだけで、彼自身でさえ、何をどんなふうに描こうとしたか、思い出せなかった。

 

41 大リザード殺し

砂浜を歩いていると大リザードがいた。それはちょっとしたウミガメ程度の大きさの、むくむくと肥ったトカゲである。大リザードは砂の上をのそのそと這って、こちらに近寄ってきたので、すかさず僕はポケットから大きなナイフを取り出し、その生き物の脳天に刃を突き刺した。ナイフが大リザードの頭を貫通するとき、何か重く固いものを潰すようなプチっという感触があって、それが妙に快かったので、同じように頭のあちこちを刺し貫いてみたのだが、その感触は最初の一度きりだった。そのあと、背中や脚を同じように貫いてみたが、やはり手ごたえはなかった。あたりの砂は緑色の血に濡れていて、全身穴だらけになった大リザードはもう動かなかった。

 

🏫⛄202x 冬

 

42 Anton Webern のコンサート

ある日新聞紙の片隅に掲載されたコンサート情報が僕の目を引いた。そのコンサートで演奏される予定の曲目は、すべてアントン・ヴェーベルンの作品だった。そして僕は長らくアントン・ヴェーベルンの音楽を愛好していたのである。ピアノ曲や歌曲、そしてあの冗談みたいに短い、2楽章で10分ちょっとしかない『交響曲』。僕はその音楽の中にユーモアと、ひそかに透徹した絶望の気配を見出す。

愛好していたにもかかわらず生演奏を聴く機会がなかったのは、僕が住む下関市やその近郊でヴェーベルンが演奏されることがなかったためだ。コンサート芸術においては近・現代の音楽は、ごく一部のものを除いて無視されがちである。地方都市ではなおさらのことである。だから僕はその日、新聞紙上でヴェーベルンの文字を見つけたとき、文字通りしばらく固まってしまった。「行くしかない、これは行かないと」などと一人でつぶやいていると、近くにいた妻が、「なに一人でしゃべってんの気持ち悪い」と言った。

僕はそのコンサートに妻を誘ってみたのだが、彼女は例によって拒絶した。コンサートが嫌いなの、見知らぬ人々が大勢一堂に会している状況ってのが嫌なの、などと、彼女はこれまで僕が一度も聞いたことのなかった理由まで持ち出して拒絶した。妻について知らないことはまだたくさんあるらしい。僕はただ、彼女はクラシック音楽を嫌っているだけだと思っていた。

それで僕はまたしてもナナタンを誘うことになった。彼女はいつものように二つ返事で誘いを受ける。

 

♮♭♮♯

 

そのコンサートは、僕がこれまで体験した中で最も音の数が少ないコンサートだった。ほとんどの時間を空白と沈黙が支配する、静謐で点的な音楽。

終演後、コンサートホールを出て夜の街を歩いていたとき、ナナタンが言った。
「最近さ、楽章間で、お客さんは咳しなくなったね」
そういえばそうだな、と僕は答えた。
「例のウイルス騒ぎがもたらした、数少ない良い影響だと思うわ。おかげでヴェーベルンが台無しにされなくてよかった。ちょっと前までは楽章間とかでみんな示し合わせたみたいに咳してたものね。私あの咳が嫌で嫌で仕方なかったから。どうしてわざわざコンサートまで来て咳しなくちゃならないのかしらね。そんなに咳って頻繁に出るもの?ただ座って音楽を聴くだけで、そんなにノドがおかしくなるの?ひどい場合だと曲の最中、しかもよりによって静かなパートで、まるで狙いすましたみたいに咳する人もいるわ。もしかしたら咳をすることが何かの意思表示なんじゃないかって考えたこともあったわ。ブーイングとか、指笛とか、足で床を踏み鳴らしたりとかと同じような。でも違うんだね。ただ咳が我慢できないだけなんだね。思うんだけど、我慢できないほど咳が出るんだったら、コンサートになんて来るべきじゃないわ。家で寝てりゃいいのよ。そうじゃない?ああ‼思い出したらまた腹が立ってきたわ。せめてやかましいパートで咳するべきだわ、そんなに咳がしたいんだったらね。どうして我慢できないのかしら。私、ライヴ録音とかでも、咳が入っていたら、演奏がどんなに優れていても、もうそのCDは聴けない。CD代返してほしいって思うわ。だからコンサート中に咳をする人が許せない。そういう人たちを全員、処刑台に並べたい」

僕たちは夜道を歩きながら、駅へ向かっていた。その途中の地下道で、あのネズミに似た顔の女を見かけた。彼女は今日も大声で歌っていて、僕とナナタンは無言でその前を通り過ぎる。

ナナタンが家に来ないかと誘ったので、僕は行くことにした。

43 白い部屋での一夜

部屋には香水と化粧品と何か花に似た香りが混じりあっている。家具も何もかもすべて漂白されたみたいに真っ白で、いつ来てもかまくらの中にいる気分になる。でも僕はかまくらになど入ったことはない。そんな部屋でその夜、僕はナナタンの手料理をごちそうになった。じゅうじゅうと音を立てて焼き上がったステーキに玉葱とにんにくのソースをかけ、湯気を立てる白いご飯といっしょに食べていると、ナナタンがだしぬけに、あなたって何の不満もないみたいね、奥さんにも家庭にも、仕事にも私生活にも何の不満もないでしょ、とても幸せそうに見えるわ、と言った。それはもしかしたら皮肉かもしれなかったが、せっかくなので額面通りに受け取ることにした。人にそんな風に誉めてもらえる機会というのは少ない。

僕は夜中まで彼女の部屋で過ごした。僕は彼女の書棚から本を取り出して読んでいた。知らない作家の詩集だった。ナナタンがコーヒーをいれてリヴィングまで運んできてくれたので、僕はありがとうと言ってカップを受け取り、コーヒーを飲みながら詩集を読みつづけた。

彼女がスマート・スピーカーから音楽を再生した。ひたすら同じ音型を繰り返すミニマル的な電子音楽が流れた。キーボードをタイプする音とか紙がこすれる音とかそういう音ばかりを集めて作ったような音楽である。起伏に乏しくメロディもない。でも聴いていると不思議にリラックスできる。

ナナタンはシャワーを浴びに行った。戻ってきたとき、彼女は長い髪をロールパンのように巻き上げていて、そのためにただでさえ背の高い彼女はさらに大きく、というより細長く見えた。

詩集の表紙には、空に向けて煙を吐き出す煙突の絵が描かれていた。僕はその絵が気に入ったので、この本を貸して、と頼んでみたところ、ナナタンは迷いもせず了承してくれた。

泊まっていくんでしょ、と歯を磨きながら彼女は尋ねて、僕は否定した。でもだからといってすぐに帰るわけでもなかった。

44 家にて

昨日の夜は、あなたはどこにいたのかな?、と朝起きてダイニングに顔を出したとき、妻が言った。昨夜、僕はナナタンのマンションから深夜に帰宅し、そのときすでに妻も子供も眠っていたので、昨夜は妻と顔を合わせる機会がなかったのだった。

女の部屋だよ、と僕は答えた。

なに?

女の子の部屋だよ。と僕は繰り返した。

女の子の部屋。と妻も繰り返した。

そう。

誰なの?

昔からの友達なんだよ。相談に乗ってあげていたんだ。

わざわざ部屋まで行って相談に乗ったの?

本も借りたんだよ、と言って僕は借りてきた本を妻に見せた。

そんなのどうでもいいわ。本当は何しに行ったの。何してたの

久しぶりに会ったからさ、つい話し込んでしまったんだよ。

二人きりで?

うん。懐かしかったよ。君にだってそういう友達ぐらいいるだろう。

どんな相談?

それは言えないよ。彼女のプライバシーだからね。

あなたさあ、私の気持ちとか考えないの?

何のこと?

懐かしいお友達に会えてよかったね、相談に乗ってあげて偉いね、なんて私が言うとでも思ったの?

いや。

じゃあなんでそんなことしたんよ。もっとましな言い訳しなさいよ

言い訳じゃないし、僕は質問に答えただけだよ。正直に、誠実に答えたんだよ。

まともじゃないわね。

嘘をついたほうがよかったのかな。

そういうことを言ってるんじゃないわ。

でも気の毒で、放っておけなかったんだ、彼女はいろんな問題を抱えているんだよ。なんでも子供のころに、両親が………

聞きたくない、知りたくないわ。その話は二度としないで。

僕は頷いた。

あなたがそんなに正直になるんなら、私からも正直に言っておくわ。次に同じことやったら殺すわ。

僕はもう一度頷いた。まさか本当に殺されるわけもあるまい、と思いながら。


 

45 💎赤いエナメルのブーツ

赤いエナメルのブーツは玄関先で死んだ小動物みたいにぐたっとしていた。それはくまなく血に濡れたみたいに真っ赤だった。指先で撫でてみたが、赤いどろっとした液体が指に付着することもなく、表面はつるつるとして乾いていた。妻は長らくこのブーツを履いていないはずだった。どうしてこのブーツが靴箱の外に出ているのだろう。久しぶりに履いてみる気にでもなったのだろうかあの女は。しかしそうしたことはもちろん僕のあずかり知るところではない。

今、この家のどこにも妻の姿はない。僕はひとりで洗面所にいた。そして浴室の擦りガラスを外側から長い間見つめていた。僕はある想像にとらわれていた。あふれるほど血のたまった浴槽の中に首を切られた妻の死骸が半ば沈んでいる光景………それは想像のはずだったが、奇妙に生々しく実感を伴っていて、ただの想像に思えなかった。まるで現実の記憶みたいだった。それもまだ新しいごく最近の記憶である。浴室の天井や壁にほとばしった血の模様や、死んだ妻の目をいっぱいに見開いた顔を、ありありと思い描くことができた。血の匂いが鼻腔によみがえる気さえした。

でも妻がそんな目にあうはずはない。彼女はまだ生きている。ただ今は家にいないだけだ。

それならなぜ僕は浴室を覗いてみる気になれないのだろう。そしてこの胸騒ぎはどうしたことだろう。まさか僕が彼女を殺したのだろうか、殺して、その記憶を今まで綺麗に忘れ去っていたとでもいうのか?…いや、そんなことはあるはずがない。僕はおそらく映画か何かで見た、女が血まみれの浴槽で死ぬシーンを思い出しただけなのだ。そうしたシーンは巷にそれこそあふれかえっているから、誰でも一度は見たことがある。さらにはあの赤いエナメルのブーツだ。さっきあのブーツを見たとき、僕はその色から血を連想した。それが想像に生々しさを加えたのだ。

だってもし僕が本当に妻の頸動脈を切断して殺したのだとしたら、どうしてだろう、見てごらん、家のどこにも血の跡などない。カーペットも床も綺麗なまま、僕の身体にも衣服にも、血など一滴もついていない。そんな派手な殺し方をして、返り血ひとつ浴びないなどということはありえない。家の中は何もかもいつも通りだった。違うのは妻の姿が見えないことだけだ。彼女はおそらくどこかに出かけている。彼女が僕に知らせずにどこかへ出かけることなど、不自然でもなければ珍しくもない。ありふれていると言ってもいい。それにしてもどこへ行ったのだろう。いつになったら帰ってくるのだろう?………気が付くと僕は歌を口ずさんでいた。どこかで耳にした不気味な童謡だった。同じメロディーを何度も繰り返しながら、僕はまだ浴室の擦りガラスを睨んでいる。どうしても扉を開けてみる気になれない。ガラスに付着しているあの無数の赤黒い点は、本当にただの水垢なのだろうか?…………

 

46 ネズミ女の名前

ある休日の午後、デパートの前の広場で小規模なコンサートが催されていた。僕らは買い物帰りに広場の前を通りかかり、息子と娘が興味を示したので、足を止めて観客の中に加わった。そのときステージ上では4人組のバンドが演奏していた。それはディープ・パープルの楽曲だった。4人とも見るからに若く、高校生か大学生のようで、どうしてそんな若者がそんな古いハード・ロックを演奏しているのかはわからなかったが、でもディープ・パープルの音楽は悪くない。それにバンドの演奏は意外なほど原曲に忠実だった。息子のケイが音楽に合わせて踊りみたいな動きをしていた。

『スペース・トラッキン』が終わるとバンドは引き上げた。司会者の男性がステージに出てきて、その男はなぜか法被のような服を身に着けていたのだが、次に登場するミュージシャンの名前を大語で呼びあげた。『ヒサコ』と呼ばれたその女性が、ステージ上に現れた。アコースティック・ギターを抱えたその小柄な女性は、僕もよく知っている人物だった。駅の地下道で何度も見かけた、あのネズミに似た顔の女だった。

そして彼女は歌いはじめた。その歌もまた僕が聞いたことのあるものだった。いつだったか、僕は直接彼女に声をかけたときに、そのタイトルを尋ねた記憶がある。そうだ、『遥かなる冒険』だ。

周りの人々は黙って耳を傾けている。中には手拍子をしている人もいた。そして僕はまたしても彼女の歌に苛立っていた。ネズミ女は決して歌が下手なわけではない。歌唱法や発声には努力のあとがうかがえる。でもその歌はどうしようもなく僕を不愉快にさせる。彼女はいかにも気持ちよさそうに歌っていて、そして歌っている自分がこんなに気持ちいいのだから聞く人もきっと気持ちよくなるはずだと、無邪気に、そしてかたくなに信じている風に見える。自分の声や歌い方が、誰かを不愉快にさせるかもしれないという可能性など、頭の片隅にもないはずだ。もし何かのはずみにそうした考えが浮かんだとしても、あの女はあっさりとそれを退けてしまうだろう。彼女はそれをあっさりと退けることができる種類の人間なのだ。そんなことを考えて、僕は不愉快になっていた。

 

曲が終わって人々は拍手をした。妻も子供たちも拍手をしていた。

「帰ろう」と僕は言った。そうね、と妻が言う。子供たちは名残惜しそうにしていたが、駄々をこねるほどでもなかった。ネズミ女は次の曲の最初のコードを鳴らした。

 

47 💎ネズミ女殺害

広場の片隅で、女がギターをかき鳴らしながら歌っていた。女はいかにも自分の歌声陶酔し満足しきっている人の歌い方をしていた。歌いながら目を閉じたり唇を震わせたりしていたし、リズムをわざとずらしたり、ハイ・トーンのときにわざとらしく声をかすれさせたりした。ロング・トーンを出すときにはどんな場合でも必ず「ヴィブラート」をかける。そうやっていかにも「情感豊かに」歌い上げる。

男はベンチに腰掛けて待っていた。ようやく女は歌い終え、彼女を囲っていた人だかりが解散すると、男は立ち上がり、ゆっくりと歩いて女に近づいた。女は屈んでギターをケースにしまおうとしていた。男はすぐそばに立って、その様子をしばらく眺めていた。女は気づかないのか見向きもしない。

 

「あなたの歌声は、とても美しいですね。そのことを伝えたかったんです」

男がそう声をかけて、女が顔をあげた。男は手に握っていたナイフを、女の顔の前で真横に線を引くように振った。二つの細い目が赤い一本の線でつながった。同じようにして真横に喉を切った。垂直に赤い線が引かれ、それはほれぼれするほど完璧な直線だった。男は返り血を浴びながら、女が地面にうつぶせに倒れるのを見た。

そのとき女がいきなり変な声を発した。おそらく悲鳴をあげようとしたのだろう。しかしそれは結局声にはならず、うがいに似たごろごろという音が鳴っただけだった。この女はもしかしたら悲鳴にも「ヴィブラート」をかけるかもしれない、と思うと、男は笑いだしそうになって、必死でこらえた。

いつしか女は血を流すただの肉塊と化していた。ギターのハードケースは血であふれかえり、そこにおさまったギブソンのアコースティック・ギターも、くまなく真っ赤だった。

男は女の髪の毛を掴んで顔を上に向け、その目にナイフを突き立てると、かき混ぜるように動かした。いつだったか休日に、娘のケーキ作りを手伝ったときのことを、男は思い出していた。卵や小麦粉をボウルの中でかき混ぜるように、血や視神経や眼球や肉のかけらを眼窩の内側で掻きまわす。女は無言だった。もう悲鳴をあげようともせず、木のように動かなかった。

 

48💎嬉しくないプレゼント

目を覚ますと枕元に赤い包装紙で包まれた大きな箱。開封すると中から人形が出てきた。男でも女でもない、子供でも大人でもない、歪んだ顔つきといびつな体型をした、およそ人間離れした異常な人物をモデルにしたような、体長30センチほどの人形がそこにあった。そう、開ける前から彼にはわかっていた。クリスマスプレゼントがそれであることは。それでもどこかで期待していたのだ、「サンタさん」が、彼が欲しがっているゲームソフトを持ってきてくれることを。彼は両親にそのことを念入りに頼んでいたのだ。でも届いたのはこの人形。しかもそれはおもちゃ屋などで売られているちゃんとした人形ではない。父の手作りの人形なのだった。父は最近になって急に人形作りに目覚めて、しかもひどくそれに夢中になっている。会社から帰宅して、食事と入浴をすませると、父は工房(と父が呼んでいる、以前はただの物置だった部屋)にこもり、夜遅くまで制作している。そのへんにあるゴミとかがらくたとか石とか木の枝とか、そういった役に立たないものとか捨てられたものとかを材料にして、父は人形を作り上げるのだ。

 

少年は人形を眺めまわした。その出来栄えはそんなに悪くはない。どことなくいびつで、可愛げもなく、ほとんどグロテスクではあるが、少なくとも眺めている分にはそれほど退屈ではない。それがただのがらくたから作られたものだとは、ちょっと信じられないほどだ。

だからといってこんな人形をクリスマスプレゼントにもらって喜べるだろうか?こんなものをいったいどうすればいいのだろう。どうやって遊べばいいのだろう。ゲームソフトと比べたら、どちらがより楽しめるかなんて考えるまでもない。そうだ、彼はあのゲームをとても欲しがっていた。友人たちがそのゲームについて楽しそうに語り合っていて、それを横で聞いているうちに、ひどく想像力を刺激されてしまい、どうしても自分も遊んでみたいと思ったのだった。

彼はめったに物をねだったりしない。一生に一度のお願いのつもりで、頼んだというのに。……しかし彼は人形を壁に叩きつけて壊したりはしなかった。それは彼の性格が温厚なためではない。普段通りの気分だったら、ひどく叱られるのを覚悟で、父を悲しませるのも覚悟で、そうしていたかもしれない。でも今の彼にはそんな元気がなかった。箱を開封するときのあの期待と、今のこの気分との落差。必要以上に疲れた気がしていた。今日一日を元気に過ごせるかどうか不安になるほど、身体から力が抜けていくのを感じていた。

時計を見ると5時過ぎだった。期待のために早起きしてしまったのだ。さっきまではすっきり目覚めていたはずなのに、急にまた眠くなってきた。そして少年は人形をベッドの端に放り投げ、枕に頭をつけた。

 

49 結婚記念日

レストランは混んでいた。素敵なお店ね、と妻が言って、それで僕はその店について説明した。シェフが大学時代の知り合いで、彼は東京の調理師専門学校に通ったあと、レストランでの修業を経て、下関に店を開き、僕は以前から彼に、店に行くことを約束していたのだった。

そのあと僕も妻もしばらく黙った。我々夫婦の間には、思いのほか沈黙が多い。しかし平均的な夫婦の間にはどの程度沈黙があるのが普通なのだろう。僕は特に沈黙を気詰まりに感じたことはないが、妻がどうなのかは知らない。

妻が口を開いた。最近また絵を描いているの。そういえば彼女の部屋に描きかけのキャンバスがあったことを僕は思い出した。もともと妻は絵を描く人間ではなかったのだが、僕と交際をはじめた頃から描くようになった。彼女の絵は僕の絵とはまるで違う。彼女は色彩豊かな具象的な油絵を描く。絵の中に直線はほとんどない。

突然ガラスが割れるような音がしてそちらを見ると、床にブドウ色の液体とワイン・グラスの破片とが散らばっていて、そのそばのテーブルで、男が顔を押さえていた。身に着けた上等そうなスーツが、ワインに濡れていた。背の高い女が立ち上がり、バッグを抱えて足早に店を出ていった。何だかドラマのシーンみたいだったが、もちろん撮影ではない。ウェイター駆けつけて床を片づけていた。また別のウェイターは、男に顔を寄せて何か尋ねている。男は手渡されたタオルで濡れた顔を拭いていた。店内にいた人々はみな、気取られないようにそのほうを盗み見ていた。しかしどよめきは少しずつ静まり、ウェイターが片づけを終えると、店内は何事もなかったようにもとに戻った。ワイングラスを投げつけられた男は精算を終えて一人で店を出て行き、それから数分後には、喧嘩したカップルのことなどみんな忘れていた。

乾杯をしよう、と僕は妻に言った。

乾杯ならさっきしたやん、と妻は言ったが、何度したっていいのだと僕は言ってグラスを掲げた。それで彼女も同じようにした。

お互いの謎と秘密に。グラスをあわせるとき、僕はそう口走った。

何それ

結婚して10年近く経つのに、お互いにまだ知らないところがたくさんある、そのことを言っているのだ、と僕は説明した。

もう酔っぱらってるの?

いや。……

 

確かに僕は妻についてすべてを知っているわけではない。つまり100パーセント知っているとはいいがたい。彼女は謎を抱えていて、彼女から見れば僕もまた謎を抱えていて、それぞれの謎が磁石みたいに引き寄せあっている。我々はそういう夫婦だった。

地中海風味のリゾットとエビのソテー、を食べながら、僕は僕自身が抱えるそんな謎の存在を、感じ取ろうとしてみた。するとなぜか、いつかどこかの道端で見かけた井戸の、その中にあった暗闇を思い出すのだった。

 

50 夜中に食べながら村上春樹を読むこと

夜中、空腹のために眠れず、戸棚をあさっているとポテトチップスを見つけたので、僕は本棚から『ダンス・ダンスダンス』を取り出して、それを読みながら食べた。

ところでよく言われることだが、村上の小説は食事に合う(言われてないかもしれない)。夜中に何か食べながら読むのに、村上春樹の小説ほど適したものはない。おそらくあの文体のせいなのだろう。おそろしく読みやすく、読んでいて心地よく、文体の力だけで分厚い小説をあっという間に読ませてしまうし、さらには何度も読み返したくさせる。そのうえ食欲さえ増進させてしまう。このことだけでも、彼はノーベル文学賞などよりはるかに偉大な功績をなしえている。

もし村上がいなかったら、僕は夜食のときに何を読んでいたのだろう。それを思うとほとんど不安になる。文体や作風を模倣する人はいても、彼と同じように書ける人はいない。それにしても『ダンス・ダンス・ダンス』はいい。僕はほとんどすべての村上作品が好きだが、中でもこの小説が一番好きなのだった。内容も表紙の絵も何もかも良い。ページの隅々にまで80年代の空気が滴るほど染み込んでいる感じがして、だから読んでいるとちょっとしたタイム・スリップみたいな気分になる。

 

51 雪の日。雪だるま

下関市では冬の間に一度か二度、雪が積もることがある。ある雪の日の午後、僕は二人の子供たちを連れて近所にある公園に出かけた。彼らが雪だるまを作りはじめ、僕もそれを手伝った。手袋をしていても雪に触るのは冷たかったが、子供たちのほうはどういうわけか、ぜんぜん冷たそうではない。寒そうにも見えない。おそらく楽しさが上回っているのだ。大したものだと思った。そして雪だるまは完成した。僕は子供たちと雪だるまが三人で並んだところを写真におさめた。そのあと子供たちは、木の枝とか葉っぱなどをくっつけて雪だるまをどんどん派手にしていた。

帰り道で、ユイとケイが、「(あの公園に来た人たちが、あの雪だるまを見たら)みんな喜ぶね」と言って、僕はそれに対して、でもたぶん明日には溶けちゃうよ、と言ってしまい、二人はひどく悲しそうな顔になった。

 

52💎高速バス

僕は高速バスに乗っていた。車内は寝静まり、起きているのは運転手だけ。運転手は黙々とバスを走らせている。僕の座席からは彼の左腕しか見えない。ハンドルを握るその腕はときどき規則的に動いた。じっと見つめているとそれは生きている人間の腕というより精巧な機械の一部のように思えてきた。そして眠っているほかの乗客たちもまた、人間ではなくただの得体のしれないずんぐりした塊のように見える。それほど深夜の高速バスの車内には生命の気配がない。僕は寝付けずあちこちをぼんやり眺めていた。そうするうち、今このバスがほとんど完全な密室であることに、唐突に思い当たる。バス最後部の狭い座席に押し込められ、窓もドアも自由には開けることができず、車は朝まで止まる予定はない。今、どれだけ外に出たいと願ってもほとんど不可能なのだ。泣きわめいて暴れまわって気が狂ったみたいにふるまえば、あるいはバスを止めてもらえるかもしれない。でも運転手にも乗客にも迷惑がかかるし、何よりそんなみっともない、無様なことはしたくない。

ただでさえ僕は閉所恐怖症の気がある。狭い場所や、閉ざされて自分の意志で自由に出入りできない場所にいることを自覚すると、怖くなり不安になって、落ち着きを失ってしまう。深夜の高速バスは密室であり閉所だった。そのことを意識した途端に唐突な恐怖に襲われた。ここからは出られない、逃げられない。狭くて、自由に歩き回ることもできず、辺りは見知らぬ人ばかりで誰も助けてはくれない。それを思うと脂汗がにじみ、吐き気がして、叫びだしそうになった。頭がぐらぐらして、目が回り、呼吸が苦しくなった。そのとき僕は何となく窓のカーテンを開いた。それは何かを期待しての行為ではなかった。何しろ夜中だから、外を眺めてたところで何も見えないのだ。とうぜん窓の外は闇に塗りつぶされていた。形あるものなど何一つ視認できない。上を見上げると、空に星が光っていた。白く瞬く小さな光は、まるで砕いてでたらめにぶちまけた宝石みたいだった。その光を目にした瞬間に、パニックの症状はすっと消えてしまった。吐き気も恐怖心もなくなり、まるで魔法にでかけられたみたいに急に楽になった。さっきまで苦しんでいたのが嘘みたいに、ほんの数秒で僕はまったく元通りになっていた。

そのあと僕は少し眠り、目覚めた。すでに空は明るくなっていて、バスは休憩のためにインターチェンジに入った。外に出て、朝の空気を吸いながら僕は思った。あのとき、たとえば空が曇っていて星が見えなかったら、いや、あるいは座席が窓側じゃなかったりしたら、僕はどうなっていたのだろう。あのまま本当に狂っていたのだろうか、いや、どうなっていたかはわからない。とにかく僕は星によって救われた。僕は空を見上げながら、朝の明るさの中に身を隠してしまった星々に、感謝を捧げたのだった。

 

53💎眠れない夜

夜うまく寝付けなかった。眠気がないわけではないのに、いつまで経っても眠りは訪れず、ただベッドの上で転がるばかリ。気持ちよさそうに眠っている妻や子供たちを見て、うらやましくてほとんど怒りさえ覚えた。午前3時過ぎに、ついに僕は眠ることをあきらめて、家を出て外を歩いた。近所の家もすべて寝静まっていて、車も人も通らず、聞こえるのは虫の鳴き声だけ。暗い道路を歩きながら、僕は学生時代の友人を思い出していた。その友人は音に敏感な性質で、いろんな雑音をマスキングするためにアパートの部屋にいつもいろんな音を流れしていた。その友人があるとき僕に尋ねたことがあった。眠るとき聞くのにいちばんいい音とは、どんな音だと思う、と。

僕は思いつく限りいろいろ答えた。波の音、雨音、鳥の鳴き声、火が燃える音、川のせせらぎの音、ホワイトノイズ、風の音。友人はどれも違うと言った。「女のすすり泣く声だよ」と彼は言った。その音が一番うまく眠れるんだよ。それを聞きながらだと、いつもほんの数分で眠りに落ちてしまうのさ。

僕は冗談だと思った。友人は実際にその音声を聞かせてくれた。彼は女の泣き声を録音したオーディオファイルをパソコンや携帯電話にいくつも保存していたのだった。スピーカーから女の泣き声が流れだし、僕は彼と二人でそれを聞いたのだが、いろんな種類の泣き声を聞くうちに、何だか怖いようなぞっとするような、とにかく落ち着かない気分になって、とてもそんなものを聞きながら眠ることができるなどとは信じられなかった。

女の泣き声というのは、思いのほかいろんな種類やパターンがあってね、と友人は言った。一つとして似ていないんだ。そのことはとても面白いよ。

彼は映画とかドラマとかアニメを見ているときに女の泣く場面に出くわすと、すぐに録音するのだという。もちろん俳優や声優ではない現実の女の泣き声の音声も、彼の「コレクション」には含まれていた。

 

どうやって録音したのかと尋ねると、子供が泣いている場面とかに出くわすとそばに寄って録音するのだ、と彼は答えた。彼はいつもそのためにレコーダーを持ち歩いているのだと言った。でももちろん子供の声ばかりではなかった。大人の女が、苦痛にあえいで泣きわめいているような声もいくつもあって、それは明らかに映画でもドラマでもなかった。大げさすぎないためにある種の生々しさがあって、しかしそうした音声をどこでどうやって録音したのかについては、彼は詳しくは語らなかった。

悲鳴のように泣きじゃくる女の子の声もあって、それは本当に耳をふさぎたくなるほど大きい鋭い声だったので、こんな声だったら、やかましくて眠るどころじゃないのでは、と尋ねてみたところ、友人はは、声の大きさなどは関係ないのだと答えた。

「女が泣いているその姿を思い浮かべたり、その心情を想像することが、僕を落ち着かせるんだよ。と友人は言った。

君は異常みたいだね。

でも嘘をついているわけじゃないよ。

大人の女の低い泣き声もあった。その見知らぬ女は、すすり泣きながら何かをひっきりなしに呟いていたが、その声はひどく小さくて聞き取れず、しかも抑揚をひどく欠いていて、どこか機械音声のようだった。

僕はいくつかの音声ファイルをコピーして譲ってもらった。何度か寝る前に聞いてみたことがあるのだが、背筋が寒くなることはあっても、眠くはならなかった。

54 ノイズキャンセリングで聴く武満徹

ノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけて横になり、音楽を再生する。武満徹の『アーク』。僕はうまく寝つけないときによく武満徹の音楽を聴く。かつて睡眠障害のようになって、夜なかなか寝付けずに困っていた時期があったのだが、そんなとき、『ノヴェンバー・ステップス』をイヤフォンで聴きながら目を閉じていたら、ごく自然に眠気が訪れ、曲が終わるのを待たずに眠っていた。そのスムーズな入眠体験はほとんどショックですらあった。『ハウ・スロー・ザ・ウィンド』、『アステリズム』、『カトレーン』、いろんな曲を試したが、どれも十分な催眠効果を及ぼした。そうした経験によって、僕はこの作曲家がより好きになった。それ以前にも聴いてはいたが、夢中になるほどではなかった。わけがわからないまま、なにひとつ掴みとることもできずにいつの間にか終わってしまう、謎に満ちた正体不明の音楽だった。それでもCDを購入したり、著作を集めたりしていたのは、やはり何か惹かれる部分があったのだろう。ある特殊な状況に置かれない限り、本当の魅力に気づくことのできない音楽というのはあるのかもしれないと思う。僕は不眠によって武満の音楽の魅力を発見した。

混沌としていて、ときどきひどく不明瞭で、空気中に光る音の粒をまき散らしながら揺れ動く音は、夢と覚醒の狭間にある意識の中では、たいそう不可思議に、そして魅惑的に響くのだった。それは沈黙を縁取り、沈黙のうちに潜む不気味な暗部をも感じさせる音楽である。

 

『アーク』は、一柳彗のピアノによる録音のほうではなく、沼尻竜典指揮による新しい録音のCDで、その演奏は素晴らしく、かねてから僕は愛聴していた。しかしそれはライヴ録音なので、観客の咳の音も入っている。それもほとんど全曲に入っている。これまでは別に気にならなかったのに、今夜はその咳の音が気になって仕方がなかった。静かなパートになると、また咳が聞こえるのではないかと思って身構えてしまい、音楽に集中できなかった。いつかナナタンがコンサート会場における咳について長々と文句を言っていたことを思い出して、僕は彼女の気持ちを今になってようやく、正しく理解した気がした。このライヴ録音が行われたその日に、会場のサントリーホールの客席にいて、わざわざ咳をした名もない数人の観客を、僕は激しく憎んだ。ナナタンの言う通りだ、そんな奴らには死がふさわしい。武満作品の、それも静かなパートで咳をすることは犯罪に等しい行為だ。

「死刑にしろ!」僕は暗い部屋でひとり叫んだ。「連中の首を切り落とせ!その首を断頭台に並べて、鴉の餌にしてしまえ」

苛立ちのあまり身体が熱を持つのをはっきり感じるほどまでになり、ますます眠れそうもなかった。

55 病気になったナナタン

ある日ナナタンが待ち合わせ場所に現れなかった。もっとも彼女は普段からあまり時間を守らないし、最大2時間半まで遅れたことがある。メッセージを送っても返信がないので、電話を掛けるとナナタンは出たが、声がひどくかすれていた。

何かあったのかと聞くと、風邪をひいたということだった。

大丈夫なのかと聞くと、彼女は答えなかった。しかし無視したわけではなく、しんどくて言葉が出せないらしい。ただ吐息のようなものだけが聞こえていた。それで僕は心配になって彼女のマンションに向かうことにした。

マンションに着いてインターフォンを押すと、ナナタンはパジャマ姿でドアを開けた。顔が赤く、呼吸が荒い。ドアを開けるだけで息絶え絶えらしく、玄関先の床に壁に背中を預けて座り込んでいた。僕は彼女を抱きかかえてベッドに運んだ。

ナナタンは身体がすごく熱くなっているのに指先だけは冷たかった。病院へ行こう、と僕が言うと、彼女は強く拒絶した。そんなことするぐらいなら死ぬ、と叫ぶように口走り、その調子がとても冗談に聞こえなかったので、僕は病院に連れて行くのあきらめて部屋で看病することにした。汗を拭いたり、飲み物や果物やお粥を与えたりした。ナナタンの様子は目まぐるしく変わった。ちょっとしたことで大笑いしたりしたかと思えば、息を喘がせてのたうちまわりながら苦しんだりした。おびただしい量の汗をかいたかと思えばまったく汗をかかなくなることもあった。そして真偽の不確かな、不自然なほど細部が正確な遠い昔の思い出話を淡々と語っりした。

56 彼女の呪い

真夜中過ぎに女が言った。「あなたになら殺されてもいいような気がするわ」

「そう」と男は答えた。

女は彼女は病気で、さっきまではひどく呼吸を乱して苦しんでいたのに、今では別人のように安静になっていた。ベッドにうつぶせになり、肘をついて状態だけ起こした姿勢で首を曲げて、さっきからずっと男の顔を見据えている。身体のどこも動かさず、瞬きさえめったにしなかった。あまりにも動かないので女の姿は空間に描かれた絵のようだった。瞳だけが、病人に特有の強い光りをたたえて、らんらんと輝いている。

「それで、いつにするの?」

何のことだい、と男は言った。

いつ殺してくれるの。

――僕はね、人を殺すことには興味がないんだ」

「誰も殺したことはない?」

人間はね、と男は答えた。

「ほかのもの?」

男は黙っていた。

「人間でないものを殺すのには興味があったんだね」

「興味、っていうんじゃないな。つまりそのときの僕には、そういう行為が必要だったんだよ。何か弱いものを傷つけるという行為がね。

ねえ、私を殺すときには、……

殺さないよ。

「なるべく時間をかけて殺してね?」女はまるっきり無視して言った。その表情は、どちらかと言えば真剣だった。

「うんと苦しみたいの。ずっとそういう死に方を夢見てきたの。夢見るというより取り付かれてたの、そういう思いに、小さいころから。少しずつ血を抜かれるように、身体のあちこちからカビが生えて腐って機能しなくなるみたいに、死んでゆくのよ。そういうものだろうっていつしか確信していた。

「君はひどい強迫観念を抱えているんだねえ!」と男は笑いながら言った。

それが私の呪いなの。つまり運命なのよ。」

眠ったほうがいいよ。まだ病気は治っていないんだから。……

「あなただって何かしらの呪いを背負っているでしょう。そういう覚えはないの」

男は答えず、壁にかかった時計を見ていた。細い針は冷たく無表情に時を刻み続けている。

きっとこのまま死ぬんだわ。秒針が11の位置を過ぎたとき、女が言った。このまま弱っていって、死んじゃうのね。

たんなる風邪で人は死なないよ。でも早く眠ったほうがいいね。君は普段と違うみたいだから

「ねえ、カッターを取って下さらないかしら」

何?、と男は聞き返した。

「カッターナイフ。そこの棚に入ってる」

「どうしてそんなものが、いまいるの」

「試してみるの」

何を?

私の身体から血が出るかどうか

何を言っているのかわからないな

もう死が私の内部で起こっている気がするの。身体が少しずつ黴みたいなものに侵されはじめている気がするの。そのことを確かめるのよ。ちゃんと血が出るかどうか、確かめなくては。

熱でおかしくなっているんだね。眠ったほうがいいよ。

女は急に素早く動いて、ベッドから降りた。そして棚に近づいてそこからカッターナイフを取り出した。そして刃をカチカチと少し露出させたので、男はあわてて立ち上がった。すでに女は刃先を彼女の左手の手首にあてがおうとしていた。彼はその動作をやめさせるために彼女の腕を掴んだ。痩せていて、そのうえ病気であるはずなのに、女は思いのほか強い力で抵抗し、その力は男がちょっとたじろぐほどのものだった。その瞬間だけ、何か別のものが、怪物のような何者かが、女に憑依したかのようだった。

「本当に血は流れるのかしら。極めて疑わしいわ。

「馬鹿なこと言ってないで寝たほうがいい」

あなたはどう思う?血は出ると思う?

「当たり前だよ。出るに決まっている。確かめるまでもない。君は生きている人間なんだからね。」

「でも実際に試さないと、納得できないわ。この目でそれを見てみないことには、気がおさまらないわ。」

女の目は奇妙な光り方をしていた。それは熱とか病がもたらす目の輝きとは異なっていて、たとえば異常な対象に向けて異常な情熱を燃やすものの目に宿る、ある種の暗さをはらんだ光だった。男はしばらく放心したようにその目を見つめ返していたが、そのあとまるで催眠術でもかけられたみたいに、彼女の身体から手を離した。女は左手を少し持ち上げ、その手の甲の上で、右手に持ったカッターの刃先をさっと滑らせた。青白い皮膚の表面に細い線が浮かび、小さな、3センチほどの傷跡の上に、赤い液体が薄く滲んだ。女は浮かんだ血を部屋の明かりにかざした。

 

「でもまだ、何も証明されていないわ。」

「どういう意味かな。君の言葉はときどき難しすぎるよ」

「他の部分からも同じように血が流れるとは限らない。切っても血が出なくなってる部位は、もうどこかにあるはずだわ。

「傷を洗い流して、それからゆっくりと眠ろう。

「この先、どんどん侵されていく、黴みたいなものに蝕まれていく。そうするともうどこを切っても血は出ない。そうやって私は少しずつ、着実に干からびながら、死へ近づいていくのよ。蝕まれる、そうよ、その表現はぴったりだわ。私は蝕まれながら死んでいく。そういう呪いなの。」

そんな風に語る女の表情は、どこかうっとりしている。

57💎最初で最後の交合

日差しが明るく地表を照らす、よく晴れた日曜日の午後に彼らは交わった。女は彼の上で傘が開いたり閉じたりするみたいな動きで揺れていた。病気のために衰弱した女の肉体は紙のように軽く、窓から差し込む日差しが逆光になって、表情は終始判然としなかった。それは静かな交わりだった。性交というより人体の機能を二人がかりで確かめ合うような行為だった。二人は声も上げず、その動きには荒々しさも、激しさもなく、まるで機械のようだった。無数の花びらを敷き詰めたみたいな匂いが、部屋に立ち込めていて、その空気の中で、女の身体はまるで油に濡れているみたいに、ピンクにも金色にも見える、不思議な色を浮かべて光った。二つの肉体は、骨も筋肉もない熱く溶けたそれでいてぶよぶよして弾力のある物体のように動きながら、心臓をぴったりと重ね合わせて、お互いの鼓動を伝えあっていた。

遠くの街並みも、空も、秋の神秘的な色合いをまとい、窓の外の公園は、隣接するマンションの陰になって不自然なほど暗く、しかし遠くの家々の屋根は夕日を反射して明るく色とりどりに光っていた。ときどき男は女の肩越しに無表情な目でその景色を眺めた。外の街にも時間が止まったように穏やかで静かな時間が降りている。人々の声も、車が通り過ぎる音も聞こえない。そして彼らはあらゆる音から切り離された場所で交わっていた。

収縮する赤い肉に縁どられた暗い穴は生き物のように収縮し蠕動しながら男の硬直した肉体の一端を何度となく飲み込み吸い上げた。女が男の肩に強く噛みつき、男はその痛みに抗うように腰を突き上げたとき、女の口からはじめて声が漏れ、その声に促されるように、男は同じ動作を繰り返し、さらに速度を速めた。声は次第に高くなり、もっとも高い音を発した直後についえた。女は男に覆いかぶさるようにゆっくりと前のめりになり、そして二人は身体をあわせたまま、大きく背中を上下させてしばらく呼吸していた。男は天井を見つめながら、耳に女の熱っぽい吐息を受け止めていた。白い天井はゆっくりと薄闇に染まってゆき、男は女の肉体が、急に冷えていくのを感じた。しかしその冷たさは最初からそこにあったようにも思えた。行為の最中でさえ彼は女の肉体に、ある種の冷たさを感じていた。皮膚は表面は熱い熱を帯びているのに、その内側にある芯のような部分が固く冷えているようなそんな感じがしていた。おそらくその冷たさが彼女の身体から消えることは永遠にないのだろうと男は思った。

 

二人はそれからしばらく眠った。目覚めたとき、女はすでに病を克服した人のような顔をしていた。

58 目が覚めたとき彼女はいなかった

目を覚ましたとき、ナナタンはいなかった。朝の6時過ぎだった。僕はベッドで横になったまま、しばらくぼんやりしていた。遠くで電車の車輪と線路が擦れる音がして、それを聞いたとき、なぜかわけもなく胸が高鳴るのを感じ、ベッドから降りて、室内を探し回った。どこにも彼女の姿はなく、僕が言い知れぬ不安に襲われかけたとき、いきなり玄関にのドアが開いて、ナナタンが部屋に入ってきた。彼女は黒いスウェット・ジャージを着ていて、汗をかいていた。彼女はそのままシャワーを浴びに行った。

浴室から出てきた彼女に、どこに行っていたのか、と尋ねると、ジョギングだと彼女は答えた。

「毎朝、走ってるの。最低でも30分。

君は病気なんだよ。安静にしていないとだめだよ

もう治ったわ。

確かに彼女は昨日とは見違えるように血色がよかった。咳もしていなかった。

「それにしてもいきなりジョギングだなんて…?

平気よ。平気なのが自分でわかるんだもの。私の風邪はいつもこうなの。いきなり来て、すぐ去っていくの。ねえ、それよりあなた、明け方にひどくうなされていたよ。

そう…内容は忘れたけど、ひどく緊張感のある夢をみていたような覚えはある。

気の毒だから、起こしてあげようかと思ったけど、面白いから見てたわ。とナナタンはにやにやしながら言った。

 

確かにナナタンは元気になっていて、彼女は朝食にグラタンを作り、僕らはそれを二人で食べた。

59 地平の果て

春休みの最初の週末、家族で鳥取の砂丘に旅行に出かけた。

視界にめいっぱいに広がる地平線はなだらかな曲線を描き、濃いインクみたいに青い空との境目は、目がおかしくなるほどくっきりしている。あそこまで行こうよ!と息子のケイが地平線を指さして叫んだ。

 

二人の子供たちはもう駆け出していた。文字通り地平線の彼方を目指して。僕と妻も子供たちを追いかけるように駆け出していた。でももちろん、どれだけ走ったところで地平線に近づけない。地平線の彼方に達したときには、また新たな別の地平線がそこにあるのだ。

やがてくたびれて僕らは足を止めた。砂漠は広く、果てしないかに思われた。僕らはなぜか無口だった。

何か小人になって、砂場にいるみたいやね、と娘のユイが言って、僕らはみんなその言葉に笑った。何がそんなにおかしかったのだろう?あるいはあまりにその表現が、僕らの実感をぴったり言い表していたからだろうか。

あっちには何があるんやろうね、依然として遠くにある地平線を指さして、ケイが言った。

 

妖精の国があるんだよ、とそこでは人間も妖精も、お化けも怪物もみんな仲良く暮らしているのだよ。そんなことを僕が言うと、2人の子供は、さらには妻まで、馬鹿にしたような目つきで僕を見るのだった。

60 💎雪の散歩道に消えた彼(Burzum『Tomhet』に寄せる)

私たちは森の散歩道を歩いていた。あたりには雪が深く降り積もっていて、吹き付ける風は冷たい。遊歩道は森を貫いて私たちの眼前に真っ直ぐに伸びて、その先にある湖まで続いている。

さっきから彼の態度がどことなくよそよそしい。そのことを指摘すると、彼は、寒いせいだよ、寒いのは苦手なんだ、と言った。それならこんな大雪の日に無理して出かけなくてもよかったのに、と私は思った。でも森の散歩道を歩くことは、私たちの毎朝の習慣で、彼は習慣を破ることを嫌う。森を抜けて湖まで行ってから戻ってくるのがいつものルートだった。それでも、雪を踏みしめながら散歩道を歩くのはどこかわびしくて寂しく、悪い気分ではなかった。

前を歩く彼の背中が左右にゆらゆらと揺れている。まるでゆるやかなリズムを刻んでいるみたいだった。それは彼の歩くときの癖だった。私も真似して歩いてみると、なぜか少しだけ身体が温まるような気がして、不思議だった。そのことを言おうとしたとき、彼が突然素早く顔を横に向けた。私はその視線の先を追ってみたが、そこには雪に覆われた草と木々があるばかりだった。変わったものは何もない。

どうしたの、と尋ねると、今何か音がしたね、と彼は答えた。

どんな音?

人の足音みたいな音だよ。

何も聞こえなかったわ。

勢いよく駆けていくような音だったよ。本当に聞こえなかった?

いいえ、と私は答える。

誰かいたんじゃないかな。

いたっていいじゃない。別に。散歩道なんだし。

そうなんだけどね。

どうしてそんなに気にするの

だってあんなにすぐ近くで足音がしたんだよ。それなのに、誰もいないから

聞き間違いじゃないの。私には聞こえなかったもの

彼は何も言わず、また歩き出した。

 

森を抜けて湖のほとりに着くころには、雪と風は激しさを増していた。視界は白く覆われ、まともに目も開けられない。

小さな東屋があって、それは一応屋根はあるけれど壁はなく、柵で囲われているだけだったけれども、その内側にいると、外にいるよりはだいぶましだったので、しばらくそこにとどまることにした。

私たちはお互いにしがみつくようにしてベンチに座ってじっとしていた。風の音の隙間に、突堤につながれたボートが揺れるキイキイという音が聞こえた。私は彼の肩にもたれて目を閉じていた。すると彼が突然びくっと動く気配がしたので、顔を上げると、彼は首を伸ばして東屋の外を見ていた。それはいかにも真剣な目つきだった。

どうしたの、と問うと、また聞こえた、と彼は答えた。

何が?

さっきの音だよ。足音みたいな音。今度は声も聞こえたよ。

外は相変わらず雪が降っていたが、人の姿は見えない。私も耳を澄ませてみたが、彼が言うような音は聞こえない。

ちょっと待ってて、行ってみるから、と彼は言い残して小屋を出て行った。彼が森のほうへ向かって駆けていく後ろ姿を、私は無言で見送った。

 

 

それから一時間近く経っても彼は戻ってこなかった。雪はさらに激しくなっていた。とても寒い。私は東屋を出て、あちこち森の散歩道に戻り、あちこち歩き回りながら何度か彼の名前を大声で呼んだ。でも返事はなかった。そうしてしばらく捜しまわった後、自分でも意外なほどあっさりと、私はあきらめてしまった。こんな風に捜したところでどうせ見つからないだろう、と思った。そして一人で歩いて家に帰った。

家にも彼は戻っていなかった。私は熱いシャワーを浴び、それから、キッチンでココアを作って、ひとりで飲んだ。窓の外は吹雪だった。彼はもしかしたらまだ、今も寒さに震えながら、森の中のどこかで、助けを求めているかもしれない。それなのに私はさっさと捜索を切り上げて一人で帰ってきた。それは雪と寒さだけが理由ではなかった。つまり私は彼がいないことを、その不在を、特に残念だとも、悲しいとも思っていなかったのだ。雪の散歩道に消えて、それきり戻ってこないのなら、それはそれで別に構わないと思っていたのだ。そのことに思い当たって、私は自分を非情な、ひどい女だと思った。でも仕方ない。たぶん私の気持ちはたぶんずいぶん前から、彼のもとを離れていた。私と彼とをつないでいた糸のようなものは、擦り切れて今にも切れそうな状態にあった。それが今日、ついさっき切れてしまった。それはあのとき、彼が森の散歩道で足音を聞いたと言ったあの瞬間に、起こったのではないかという気がする。

そう、ありもしない足音を聞き、それを追いかけてどこかへ行ってしまった人など、どうすることもできない。

家に一人でいて、私は孤独だった。でも気分は落ち着いていた。


 

🌸202x 春

 

61 ある休日

子供たちの学校や幼稚園が長期の休みに入ると、妻はときどき子供たちを連れて実家に帰る。それで3月のある日、いつものように妻と子供はそうやって宇部の実家へ帰り、僕は一人で家に取り残された。家族が不在のその2日間を僕は休日にした。自分一人だけで過ごす休日。僕の仕事は自分の裁量で時間を使える種類のものなので、定まった休日というものが存在しない。放っておくと毎日働き通しになってしまうので、どこかで自主的に意識的に休日を作らなくてはならない。

もっともめったに働き通しのことなどない。ちょっとしたことが理由で、たとえばたまたま目に入った空の雲の形が気に入らなかったからとか、道端でごみが荒らされているのを見たからとか、お気に入りのお皿が割れたとか、そうした理由で何もかも嫌になって一日寝て過ごすこともある。

朝の6時に目が覚めて、僕は朝食にフレンチトーストを作って一人で食べた。休日にフレンチトーストを食べたくなるのは子供のころからの記憶のせいかもしれない。家族で朝てそれを食べていたときの気分は幸福なイメージとして残っている。ダイニングは静かで窓からおぼろげな光が差していた。そこにフレンチトーストの甘い香りが混ざり、その中で僕は食べ物を平らげた。コーヒーは3杯飲んだ。

そのあと僕は縁側の椅子にもたれて、何をしようかと考えながら何もせずに過ごした。いろいろな選択肢を浮かべながら、そのいずれも実行に移さず、ひたすらぼんやりする。庭を眺めながら懐かしい気分になっていた。庭には眺めて楽しいようなものは特にない。小さな花壇があるだけで樹木は一本もない。昔ちょっとだけ住んだ一軒家にも狭い庭があった。ススキばかりが生えていてその対処が大変だった。そんな庭ですら今では懐かしく感じる。懐かしさというのは悪くない気分で、僕はときどき前触れもなくだしぬけにそういう気分になる。雲や樹木、トンビの鳴き声、入道雲、台所で何もしないのに食器がガラガラと音を立てて散らばるようなとき、それぞれの事象に対応した記憶が引っ張り出され、それで僕は懐かしくなってしまう。一日の一番最初に、何かを懐かしく思うことは、僕にはよくあることだった。

 

台所に戻って食器を洗い、ついでにまたコーヒーを作って、それをカップに注いで縁側に戻り、またぼんやりした。そうするうちに、2、3時間が過ぎていまた。10時になると僕は着替えて外に出た。そして近所の川べりの道を歩いた。その川は季節によってカルガモとかシラサギとかセグロセキレイとか、様々な鳥を観察することができる。一度だけカワセミを見かけたこともある。青い羽をもつその美しい鳥は、僕はその実在をそれまで半ば疑っていたので、はじめて見たときには驚いた。その日はスズメとカラスしかいなかった。僕はとある公園に入り、ベンチに腰かけてぼんやりした。公園は無人だったが、しばらくすると小さな双子の女の子と、その母親がやって来て、隅にしゃがんで三人で額を寄せ合って遊びだした。僕は公園を出て、近所のうどん屋で昼食をとり、それから家に帰った。午後、ソファに寝そべって本を読んでいると、いつしか眠っていた。

インターフォンの音で目覚めさせられる。妻と子供たちが帰って来たのだと思って、思わず立ち上がったが、よく考えてみると彼らが帰ってくるの二日後のはずだった。そして壁のモニター・ディスプレイには何も映っていなかった。念のためにドアを開けたが、玄関先にも門の外にも誰もいなかったので、僕はあのインターフォンの音は、夢の中で聞いた音だったのだろう、と結論付けた。しかしもちろん夢の内容はひとかけらも思い出せない。眠っていたのはほんの数分のような気がしていたのに、時計を見るともう夕方が近かった。

 

🌙

 

それで僕は夕食の準備に取り掛かる。朝から出汁をとっておいた鍋に肉と豆腐と白菜を放り込んで茹でるだけの料理、さっぱりした湯豆腐としゃぶしゃぶ。それを炊き立てのご飯と一緒に食べる。一人で食事をするとき、僕は本を読んだりインターネットで動画を見たりはしない(それは個人的なささやかなルール)。窓の外の夕暮れを眺めながら僕は、ショウガや大葉やにんにくなど薬味を利かせて、するとご飯を一口ほおばるごとにむしろ空腹は深まるように感じられ、そうやって食べていると二合炊いたご飯があっという間になくなっていた。

暗くなっても電気をつけずにいると、窓から月明かりが差し込んだ。映画でも見ようか、それとも音楽を聴こうかと考えながら、やはり何もせず、窓辺のぼんやりした白っぽい光の中でただの夜を眺めていた。するといつの間にか時間が過ぎていて、眠くなったので布団に入って眠った。

 

62 ある休日・2

日曜日は曇っていて、風が強かった。そういう天候は変に気分を躍らせる。僕は朝食と掃除と洗濯を終えると、午前中は集中して仕事を行った。

午後、ブログを書こうと思ってブログの管理画面を開いたところ、通知が届いていて、クリックするとあるブログ記事にコメントがついた、という通知が表示された。僕のブログにコメントがつくことは珍しい。さっそく僕はそのコメントを見てみた。コメントがついたのは最新の記事ではなく、『ネズミ女殺害』と題した過去の記事だった。それはネズミ女を殺害する光景を描写した創作の文章である。その記事にごく短い一行のコメントがついていた。

 

「本当に殺されたらしいよ」

 

コメントの下にリンクが貼られていた。URLから察するにそれはニュースサイトのリンクだった。クリックすると画面に記事が表示された。

 

"―月〷日未明、下関市武久町にあるアパートで若い女性が血を流して死亡しているのが見つかりました。死亡したのは同アパートに住む河内山久子さん(27)。遺体には全身に切り傷や殴打の跡があり、警察では殺人の疑いがあるとみて捜査中。――"


 

被害者の女性の顔写真が公開されていて、僕はその顔を見たことがあった。それはいつも地下道で歌っていた、あの路上歌手の女だった。そうだ、彼女の名前は「ヒサコ」だった。殺された「河内山久子」とは彼女のことなのだ。

ブログの管理画面に戻り、またコメントを見る。

コメント投稿者の名前欄には"aa"とあるだけで、完全に匿名だった。コメントがなされた『ネズミ女殺害』という記事は、短い創作の物語であり、そこでは主人公の男が女を殺害する。僕は確かに殺されたその女を、歌手「ヒサコ」をモデルにして書いた。

コメント主は、僕がモデルにしたその女性が、本当に殺されたよ、と伝えているのだ。

 

僕は考えこんでしまう。なぜこの匿名の人物"aa"に、こんなコメントができたのだろう。

僕が彼女のことを「ネズミ女」と呼んでいたことは、僕のほかに誰も知らない。それは僕が歌手「ヒサコ」につけた個人的なあだ名であり、その言葉を僕はこれまで一度も口に出して使ったことはない。もしその匿名のコメント主が、僕の知り合いとか、きわめて親しい人物だったとしても、知りようがない。

じゃあこのコメント主"aa"とはいったい何者なのか?

 

僕はアクセス解析の画面を開き、コメントがなされた日のブログのアクセスのデータを閲覧した。その日には十数件のアクセスがあり、そのうち一件は、僕が住んでいる下関市からのものだった。見知らぬコメント主"aa"は、もしかしたらごく近くに住んでいるのかもしれない。その人物はどこからか僕を見張っていて、僕についてのいろんな情報を集めているのかもしれない。そんなことを想像するとだんだん落ち着かなくなって、意味もなく部屋のなかを歩き回ったり、室内のいろんな隙間をじっと見つめたりした。そのうちに別の考えが浮かんだ。コメント主"aa"は、あの『ネズミ女殺害』のブログ記事を通報していないだろうか?問題の事件の容疑者はまだ捕まっていないらしい。僕はあの記事で、彼女をモデルにした女を残忍なやり方で殺害する場面を記述した。それはただの想像だったが、あの文章がもし警察の目に留まった場合、僕は何らかの疑惑を向けられるのではないか。

もちろん僕は誰も殺してなどいない。しかしなぜか、僕はそのことをさほど確信できずにいた。まるで自分が殺人を犯して、そのことをすっかり忘れているような、そんな感じがしていた。何しろ僕はネズミ女を尾行したことがある。いつかの夜、僕は地下道で彼女と言葉を交わしたあとで、彼女のあとをつけた。アパートまでついて行った。あのとき誰かが僕の姿を目撃していた可能性だってある。…そう、僕は完全な潔白とは言えない。しかし彼女が殺されたとされる日、僕には明確なアリバイがあった。その日、僕は家族を連れて鳥取に旅行していた。河内山久子が殺されたのはその日の深夜で、その時間帯には僕は鳥取市内のホテルにいて、その一室で家族とともに眠っていた。

その時間帯に僕がホテルにいたことを証明してくれる人物は、家族のほかにはいないが、鳥取から下関まで夜中に数時間で行って殺害を実行してから朝までにまた戻ってくることは、現実に不可能なのだった。もしそのアリバイがなければ、僕はもっと深刻に、真剣に思い悩んだかもしれない。

殺してないよ、と僕は独り言を言ってみた。しかしその声にはどこか嘘っぽい響きがあった。その嘘っぽい声は部屋の空間に雲のようにしばらく浮かんでいた。

『ネズミ女殺害』の記事を非公開にするべきかどうか、しばらく考えたあとで、結局何もしなかった。

 

夕方に妻と子供たちが帰ってきた。

パパ、ちゃんとお留守番してたん、とケイが言って、もちろん、と僕は答えた。

 

63 ある夢(燃える男)

夢をみた。男が道端で火に包まれて燃えていた。燃えながら男は踊るような動きをしていた。もちろん本当は踊っているのではなく、熱さと苦痛のために身をよじらせているのだ。通りかかる人々はどういうわけかその男に関わろうとしない。助けようともせず、救急車や消防車を呼ぶこともしない。だからといって完全に無視するでもなく、誰もがちらとそちらに視線を向けるが、しかし特に関心も向けずに通り過ぎるだけである。彼らの目に燃える男の姿はちゃんと映っている。彼が苦しんでいることも認識している。そのうえで無視しているのだった。

男の踊りはいっそう激しくなり、あたりに火の粉が舞い散った。男は悲鳴を上げ、それは苦悶に満ちた声だった。しかしやはり誰も反応しない。人々はまるで道に捨てられた迷惑な不法投棄の粗大ごみか何かのように避けて通る。

よく見るとその男は僕にとてもよく似ていた。顔も体型もそっくりで、まるで鏡で自分を見るようだった。そのことに気づいたとき、僕は男を助けたいと思った。しかし炎はあまりに激しく、男の全身は黒焦げで、もはやなすすべはなかった。

 

🔥

 

目を覚ましたとき、全身に汗をかいていた。刺すような悲鳴が耳に残っていた。

ベッドから降りてブラインドをあげ、窓辺に立ち、窓を開け放つ。冬の朝の日差しは弱弱しく、風は冷たかった。

もしあの夢に出てきた燃える男のような、自分にそっくりな男がどこかにいるとしたら、彼は僕と似たような人生を歩むのだろう。見た目や顔がそっくりならば、行動や思考のパターンもまた似通るということはありうる。彼は僕と同じようなことを考え、似たような声で似たようなことを話すかもしれない。僕が部屋で物思いに沈むとき、彼も同じようにしているかもしれない。そしてきっと同じような死に方をする。そうだ、夢で自分にそっくりな男が焼け死ぬのを見たとき、僕は自分の死にざまを見る気がしていた。

 

64 ゲームセンターにて

僕は子供たちとゲーム・センターにいた。妻は一人で洋服屋で服を選んでいて、その間僕は子供たちをフロアの端にある狭いゲームセンターに連れてきたのだった。子供たちはクレーンゲームで遊んでいた。ひどく欲しいキャラクターのぬいぐるみがあるらしく、二人ともほとんど必死の形相でクレーン機械に向かっている。二人は小声で何か作戦のようなものを立てたりしていた。クレーンは握る力が弱くて、それにもしうまくつかめたとしても、あの穴のところに戻ってくるまでに落ちちゃうの。だからぬいぐるみのあそこのリボンのところを狙うのよ。あそこにあのクレーンの端を引っ掛けるの。そうしたら簡単には落ちないから………

僕は何となく、あたりを見渡した。なぜ見渡したのだろう?何かを感じたのだろうか。妻はまだ戻ってこない。そして僕はそれを見た、アーケード筐体の隙間から、ゲームセンターの入り口に、見覚えのある女が立っているところを。それはナナタンだった。彼女はTシャツにジーンズといういつになくシンプルな服装で、柱のようにその場に動かず立ち、こちらを見ていた。彼女は通路の邪魔になっていて、背後から来た人々が彼女を迷惑そうな目つきで見ていた。

ちょうど息子のケイがそのとき、目的のぬいぐるみを釣り上げ、横で見ていた娘のユイが大声をあげた。パパ見て、ケイがあれとった‼すごい‼それで僕はナナタンから視線を背け、ケイが誇らしげに手にしている自動車の形のぬいぐるみを見た。

すごいな。本当に取っちゃうなんて。難しそうに見えたのに。と言って僕はケイを褒めた。

ケイは、自分が上手かった、お姉ちゃんにはあんな上手にはできない、といった意味のことを言って、娘のユイが怒って言い返し、僕はその争いをいさめながら、再びちょっと顔をあげると、ナナタンは同じ場所にやはり立っていた。見間違いではなかった。彼女は確かにそこにいてこちらを見ている。僕はよほど子供たちを連れてゲームセンターを出ようかと思ったが、今度はユイがキツネのぬいぐるみを取るためにゲームを開始していて、それをやめさせるわけにもいかない。娘は弟に挑発されたのでいいところを見せようと躍起になっているのだ。どうしてナナタンがここにいるのだろう?いったい何をしに来たのだ?彼女は僕が今日ここにいることを知っていたのだろうか、それともただの偶然だろうか。……でもナナタンがこちらへ近寄ってくる様子はなかったので、僕はなるべくそちらを見ないようにしていた。

ユイが操作するクレーンからぬいぐるみが落ちて、それを見てケイが笑い声をあげたので、苛立ちを募らせていたユイが怒ってケイの背中を叩いた。その上彼女はクレーンゲーム機の台も叩いたので、僕はユイを叱った。物に当たっちゃだめだよ、ケイにも謝りなさい、と言うと、ユイはしぶしぶという感じで謝った。

そのあと僕はケイにも、そんなにからかわないで、おとなしく見るようにと言った。ユイ、つぎで最後だよ、落ち着いて、リラックスしてやるんだよ。焦るとどんどんうまくいかなくなるから」

ユイは彼女なりに落ち着こうとしているらしく、深呼吸をしていた。しかしもっとも落ち着くべきなのは僕であるようにも思える。もしナナタンがこちらに接近して来たらどうしよう、と僕は考えていた。子供たちの前で彼女に対してどう振舞うのが自然だろう。いや、そのことはどうにでもなる。問題は妻が戻ってきた場合のことだった。二人が鉢合わせるとまずいことになる。

お父さん、お金ちょうだい、とユイが言った。僕は我に返り、財布から硬貨を出してユイに渡した。つぎで最後だよ、このままだとお金がなくなっちゃうからね。

いやだ、取れるまでやる。

この場所を去る理由を考えながら、僕はユイがゲームをするところを見ていた。ユイはとても集中して、慎重にクレーンを操作している。ケイも今度はおとなしくしていた。クレーンは移動してお目当てのキツネのぬいぐるみの上で止まった。これまででいちばん上手く行きそうだったので、ケイも興奮して声をあげた。気がつくと僕のすぐ真横にナナタンが立っていた。僕は今はじめて気づいたという顔をして、彼女に「やあ、こんなところで、どうしたの」と言った。ケイが僕の声に反応してナナタンを見上げた。

あなたがケイちゃんね。こんにちは。とナナタンは言った。

ケイはこんにちはと言った。ユイはクレーン操作に集中しているので顔も上げない。

お父さんのお友達だよ、と僕が言うと、ケイは頷き、しばらくナナタンを見上げていたが、やがてまたクレーンゲームに関心を戻した。

ナナタンは僕の横に立ったまま去ろうとしなかった。僕は冷静を装いつつ、妻が今のタイミングに帰ってこないことを祈っていた。

クレーンは下降し、今度はめあての品物にちゃんと引っかかり、無事に排出口まで運ばれた。出てきたキツネのぬいぐるみを手にしてユイは飛び上がって喜んでいた。そのとき娘ははじめてナナタンの存在に気づき、挨拶をした。ナナタンはにっこりと微笑み、挨拶を返した。

「あなたがユイちゃん。本当、お母さんにそっくり」

ユイが何か言う前に、僕はナナタンに、「そろそろ行かなくちゃいけないんだ。また今度」と言って、二人の子供の手を引いてその場を離れた。「さよなら」とナナタンは言った。

 

僕は子供たちとゲームセンターを出た。途中一度だけちょっと振り返ったが、ナナタンはまだクレーンゲームの横に、何をするでもなく立ち尽くしていた。彼女は彼女の目の高さにある何かを真っ直ぐに見つめていて、別にこちらを見てはいなかった。プリント写真撮影機を利用する女子中高生や、音楽ゲームで遊ぶ子供たちに紛れた彼女の立像は、離れたところから見ると周囲から浮かび上がって見えた。ゲームセンターで遊ぶ客にはとても見えない。人というより風景を構成する無生物といった風に見える。そういえばナナタンはどうして僕の娘に向かって「お母さんにそっくり」なんて言えたのだろう?彼女は妻の顔を知らないはずだ。ナナタンが妻と会ったことはないのだ。そのことについて考えていると、ケイが「ママ」と大声をあげた。顔を上げると妻が大きな買い物袋を提げてこちらに向けて歩いてきていた。僕は再び後ろを振り返ってナナタンの位置を確認した。彼女はまだ同場所にいて、別に近づいてきたりはしなかったが、僕は落ち着かない気分のままだった。妻に「もっとゆっくりしててもよかったのに」と言うと妻は、「あら、今日は優しいんやね。いつも遅いって文句言うのに」と言った。僕は子供たちが何かナナタンについて言い出すのではないかと心配していたのだが、彼らはゲームで獲得したそれぞれのぬいぐるみを母親に自慢するばかりで、ナナタンのことは何も言わなかった。僕は駐車場に着くまで何度か背後を振り返ったが、ナナタンは最後までゲームセンターで何もせずにどこかを見つめながら立っていた。

 

子供たちがナナタンについて、妻に何か言わないかと僕は危惧していたのだが、ケイはおそらく忘れていたし、ユイも何も言わなかった。もっとも娘は変に気を回すようなところがあるので、僕に気を遣って黙っているのかもしれない。

 

65 変な硬貨

子供のころ、デパートの屋上で見知らぬ大人から硬貨をもらったことがあります。それは見たことのない硬貨でした。直径2センチ、十円玉と同じほどの厚みと大きさで大きさの割に妙な重みがある。色は眩い輝くような銀色をしており、ぱっと見はとても綺麗でした。だからこそ僕はそれをもらったときは喜んだはずなのです。それににもかかわらず、その硬貨が子供時代の僕のお気に入りの宝物とはなり得ませんでした。その理由は、硬貨の両面に刻まれた模様のせいです。そこには胸が悪くなるような図形が描かれていました。ただの幾何学的図形が反復する模様でしたが、とても複雑で、規則性がありそうでなくて、見つめているとだんだん目が回ってくるのです。そしてやがては気分が悪くなり、吐き気を催したことさえあります。

ゲームセンターのスロットマシンか何か使うメダルだろうと考えて、あちこちのゲームセンターとかスロットマシンがある場所に行き、その硬貨を受け入れるマシンがないか探しましたが、その硬貨はどのコインやメダルとも異なっていました。

いろんな人に硬貨を見せて尋ねたこともあります。でも誰もそれについて何も知りませんでした。どの国にもこんな硬貨はない、ということだけがわかった。

硬貨を僕にくれた見知らぬ男性はいったい誰だったのか。あの男はデパートの屋上でたまたま出くわした僕にその硬貨を手渡し、すぐにどこかに去っていきました。その記憶はひどくおぼろげで、人相についても、ひどく背が高かったということのほかには何も覚えていないのです。その男の影が、デパートの屋上の灰色のコンクリートの地面の上に長く伸びていた、夏の終わりの夕方の光景の漠然としたイメージだけが、今もかすかに残っています。僕はかなり幼かったはずですが、なぜあのときデパートの屋上に一人きりでいたのでしょう。そしてなぜあの男はそこに現れて、この硬貨を僕に託さなくてはならなかったのか、何もわかりません。僕は何度となくその記憶そのものを疑いました。絵本とか漫画の一場面をもとにして脳が勝手に作り出した偽りの記憶ではないかと考えました。でも引き出しの中を覗くと、いつもそこに硬貨はあります。そしてすべてが現実であったことを僕に告げるのです。

いまだに僕はこの円形の物体の両面に刻まれた奇妙なグロテスクな模様に馴れることができません。それは見つめるたびに異なる不愉快さを、胸のうちに呼び覚まします。

 

66 Cyrodiilに帰る

今日は久しぶりにCyrodiilに帰りました。そうだ、『The Elder Scrolls IV: Oblivion』を遊ぶことは、まさしくCyrodiilに帰るという感じなのです。『Oblivion』に没頭していた時期、僕は実際にその世界を生きていたように思いますた。Cyrodiilの空気を呼吸し、その世界を照らす太陽の光を実際に浴びていました。そこに生きる人々と言葉を交わし、魔物を殺し、鹿や熊を狩り、草花を採集しました。魔法を習得し、オブリビオン・ゲートを封鎖し、街では略奪や強盗を犯し、一般市民を殺害しました。僕はときに勇者で、ときに殺人鬼であり、人々の尊敬を勝ち得ると同時に汚らわしいCriminal Scumでもありました。そうやって僕はCyrodiil世界を生きていたのです。その記憶は現実と同じかそれより生々しい。たとえば過去の楽しかった旅のことを思い出すときのように、僕はそのゲーム体験を思い出すのです。

現実に外で雪が降っていた寒い冬のある日に、このゲームを行っていたのですが、そのとき私はファストトラベルを使わず長い道のりを歩いて、雪に覆われたBurmaの街に到着しました。そのとき現実に、部屋の窓の外では雪がちらついていて、ゲームの世界の雪景色と現実とが一続きになるようで、二つの世界の境界がとても曖昧に感じられて、夢見るような気分を味わいました。そのことは忘れられません。

だからこのゲームのBGMを耳にすると、ほとんど胸が締め付けられてしまいます!ゲーム中には音楽などろくに聞いていないか、場合によっては邪魔にさえ感じていました。それなのに。

 

あまりにこのゲームが好きすぎて他のゲームが色あせて見えました。このことは『Oblivion』の最大のデメリットかもしれません。他のどんなゲームも、これと同じほどの没入感を与えてはくれないだろう、と思ってしまい、他のゲームで遊ぶ気が起きなくなってしまうのです。ゲーム体験が人生における一つの印象深い思い出になってしまうほど、深く没入できるゲームは、そんなに多くはない気がします。……

 

67 ナナタンの涙

それはまたしても意図せざる遭遇だった。一人で車に乗っていたとき、信号待ちのときにいきなり誰かが後部座席のドアを開けて車に乗り込んできたのだった。僕は最初何が起こったのかわからず一瞬呼吸が止まったようになり、おそるおそる振り向くと、そこにナナタンがいた。まるで幻覚を見ているような気になって、混乱に襲われたが、そのときとっくに信号は青になっていて、後ろからクラクションを鳴らされたので、それによって何とか我に返り、車を発進させた。

たまたま通りかかってあなたの車を見かけたから、とナナタンは言った。僕はうまく返事ができなかった。混乱がおさまっていなくて、いまだに幻を見ている気分だった。ナナタンはバックミラー越しに僕を見ていた。まるでよくできた人形のようだったが、彼女は生きて、動いていたし、言葉を発しさえしたのだ。

そういえば、家近いもんね、と僕は言った。確かにそのとき車はナナタンのマンションの近くを走っていて、だから彼女がこの付近を歩いていることだって別に不思議ではない。ありうることなのだ。僕の車を見かけて、いきなり乗り込んでくるというのも、ナナタンの性格を考えればやりそうなことではある。

でもこんな風に会うのは初めてだったので、僕は自分が思いのほか動揺しているのに気付いた。考えてみればナナタンと昼間に会ったこともなかった。数日前にゲーム・センターで遭遇したときだけだ。そして彼女を車に乗せるのもはじめてだった。

 

僕は帰宅の途中だったが、ナナタンが唐戸にある観覧車に乗りたいというので、進路をそちらに向けた。その日はいつになく道が混んでいて、というのも関門海峡のあたりで映画のロケが行われていて一部道路が通行止めになっていたせいだったが、おかげで車はなかなか進まなかった。その間、ナナタンがずっと喋っていた。話すべきことならいくらでもある、といった調子で喋り続けていた。

 

唐戸に到着した後、僕らはスターバックスでコーヒーを飲み、それから観覧車に乗った。ナナタンはまだ喋り続けていた。その話はまるで連想ゲームのようにあるエピソードが別のエピソードを呼び、次々と発展していったが、話の中でつじつまが合わない部分とか不可思議な点が数多くあって、あまりに整合性を欠いているために、おそらく彼女は創作を交えながら思いつくままに喋っているのだろうと思った。ナナタンがそんな風な話し方をすることはよくあった。

彼女の話を聞きながら僕は観覧車から地上を見下ろす。対岸の門司の街並みが見えて、その手前には流れの速い巨大な川のような海峡を漁船や客船が横切っていった。下関ー門司間のフェリーの発着場がある『あるかぽーと』では、散歩したり、カフェで語らったり、釣りをしたりする人々の姿が点のように見えていた。ナナタンは今、過去の恋人について話している。さっきから彼女はその男性について事細かに語っている。しかしどれだけ聞いても僕はその人物について血の通わないロボットのようなイメージしか形作ることができない。それはナナタンがその男性の表面的な属性しか語らないためだった。出身大学、所属する企業、家族構成、好きな食べ物、好きな映画、まるでSNSのプロフィール欄を読み上げるみたいに。その男性の人柄や性格や内面といった要素は、少しも語られず、だから彼女がどれだけ熱意を込めて話したところで僕はいまだ何一つつかみ取ることができない。聞いているとその男性が本当に彼女の恋人だったのか、疑わしくなるほどだった。それで僕はもう少し踏み込んだ人間的なイメージを得るために、(大して関心はなかったけれども)その男性についていくつかの質問をした。しかし僕の質問はたいてい、やんわりと無視された。無視されない場合でも、彼女はどこか的外れな返答をした。ナナタンが自分が話すことに夢中になっているとき、僕の言葉はあまり届かない。これは仕方のないことなのだ。でも彼女の入り組んだ、支離滅裂ともいえる長い話を聞くときには、僕はまるで広大な迷宮を一人でさまよっている気になり、その気分はそんなに悪くない。けっこう好きでさえある。だから僕は基本的に彼女の話を遮ることはせずに、ただ役割として相槌を打つばかりである。彼女はだからといって全く僕をないがしろにしているわけでもなく、僕の発言によって話を軌道修正することもあるが、しかしたいていは、また別の迷路に迷い込んでしまうになる。

 

そんなわけで観覧車の狭い個室はナナタンの言葉で埋め尽くされた。観覧車が4分の3周したとき、ナナタンがある言葉を発した。その言葉を最後に、彼女の長い話は途切れた。それはひどく曖昧な響きの、絹を指先で撫でるような柔らかい響きの短い言葉だったが、まるで聞き取れなかったので僕は聞き返そうとした。そのときナナタンの顔を見て僕は少し驚き、言いかけた言葉を飲み込んだ。ナナタンの頬に涙が伝っていたのだった。

最初僕は何かの水滴が頬に付着して流れているのかと思った。なぜならナナタンが涙を流すところを見たことはなかった。しかし水などもちろんどこにもないので、それは涙であると考えないわけにはいかない。

 

しかし涙はほんの一滴流れたきりだった。僕が気が付いたときには、彼女はもう泣き止んでいたのだ。それはもしかしたら、何かのはずみでただ涙が一粒だけ落ちるという人体の現象だったのかもしれないとさえ思った。彼女が涙を流すほど感情をあらわにしたことが、僕には信じられなかった。かすかな戸惑いを覚えつつナナタンの顔を見つめていたが、彼女は普段通りであり、感情を乱した気配もなかった。

僕は見間違いだった可能性をしばらく真剣に考えていた。そのあとは我々はおおむね無言だった。

観覧車が地上に戻る頃には、さっきの涙のようなものは見間違いだったのだと、僕はほとんど確信していた。

 

別れ際にナナタンが「また会える?」と言って、僕は「もちろん。」と答えた。それは我々がときどき行うやりとりである。

 

68 突如襲う倦怠

とあるピアノ協奏曲を聴いているとき、突然その曲に飽きた。飽きただけでなくほとんど嫌悪感を覚えた。どうしてこんなつまらないものをありがたがって聴いていたのだろう、と思った。あと数分で終わるところだったので、再生を止めることはしなかったけれども、もう集中力は失われていた。音楽は耳を素通りしていった。

…………そうだ、10年とか20年前の曲ですら古く感じるのに、100年とか200年とか前に書かれた曲が、つまらなくないはずはない。そんなものは古いなんてものではなく、いままで自分はそれを美しい優れたものとして、真剣に鑑賞していたが、それは単なる「ふり」だったのではないかと思った。演技のようなものだった。モーツァルトとかベートーヴェンのような、偉大な作曲家の作品でさえ、耐え難いほど退屈に聞こえることがある。あるいは退屈なパートが存在する。たとえば交響曲とか協奏曲の終盤によくある、テンポの速いさんざん盛り上げるような展開、ああいうのはどうしようもない。あんなものを楽しんで聞ける人間は現代にはいない。どんな才能のある演奏家が、立派な楽器を使って、どんな斬新な解釈で演奏したとしても、面白くしようがない。我々はただ、楽曲はとりあえず最後まで聞かないといけない、という暗黙の了解のために、あのような退屈なパートに最後まで付き合ってあげているのだ。過去の偉大な音楽家を批判するつもりはない。クラシック音楽の歴史と理論には敬意を払うけれども、どれだけ美しく崇高でもそれが何百年も前に作曲されたものであることは事実で、古臭く感じるのは当然のことだ。

 

以前に妻がクラシック音楽が嫌いだと言ったとき、僕は彼女のことを愚かだと思った。この素晴らしさを理解できないのはもったいないし、気の毒だとさえ思った。あのとき僕はほとんど軽蔑していた。でも今、僕はその軽蔑を自分自身に向けなければならない。少なくとも彼女は自分に正直だった。

 

69 妻の考えと意見 

ユイが小学生になったら、私も少し働こうかな、と妻が言った。

聞くところによると妻の友人が運送会社の事務のパートをやっているのだが人手が足りなくなって妻は誘われたらしい。

いいんじゃないかな、ケイの面倒は僕がみることだってできるからね。と僕は言った。

私、働いていないと、頭が鈍るみたいな気がするわ。と妻は言う。確かに普段から、妻は自分を忙しくするのが好きだった。彼女は空いた時間には手芸をやっていて、それでいろんなものを作っていた。彼女はそれを自分の仕事だとみなしていた。仕事というのは必ずしも報酬や収入を生む必要はないのだ、というのが妻の考えである。仕事とは人がただの何もないのっぺりした日常に流されるだけで終わってしまわないための「杭」のようなものなのだ。その杭にしがみついていなければ、生活はただひたすら押し流されて日々をやり過ごすだけの無意味なものになってしまう。体型や服装にも気を遣わなくなって、顔つきとか姿勢とかまで悪くなる。人はそうやって堕落してゆくのよ。彼女はそう語った。

妻は堕落という言葉を使った。それは彼女の普段の言葉遣いにややそぐわない感じがしたので僕はちょっと意外に感じたが、彼女はなんでもなさそうにしていた。


 

そういう人、たくさん見てきたわ。私はそういう駄目な女の人になりたくないの。

妻がそのような演説をするのは珍しいことだった。僕は黙って聞いた。

 

70 入学式の朝

午前4時過ぎに目が覚めて、そのあと眠れなかったので寝室を出た。リヴィングでカーテンを開けて外を眺めると、外はもちろんまだ暗く、どの家の窓にも明かりは灯っていない。なぜか心細くなり、コーヒーを作って飲んだ。夜が明けて朝になるまではあと数時間、それからはじまる新しい一日は、劇的というほどではないにしても、節目となる一日ではあるはずだった。娘のユイは今日から小学生になる。買ったばかりのピカピカしたカーキ色のランドセルを背負って、彼女は毎日小学校に通うことになる。弟のケイは幼稚園の真ん中のクラス、すなわち「あおくじら組」に進級する。二人の子供たちの人生は、まだはじまったばかりで、僕はこの先、彼らが成長することを助け、見守らなければならない。そこには多くの大変なことがあるはずだが、その覚悟はもちろんできていたし、またそこには多くの喜びもあるはずだった。僕はそれを楽しみにもしていた。

 

しかしその暗い早朝に僕が感じたのは何か重いものに押しつぶされるのに似た息苦しさだった。黒い大きなぶよぶよした球体のようなものが、背後から押しつぶそうとするような感覚であり、それは憂鬱とか絶望にも似ていた。たとえば悪夢から覚めたばかりの時、よくそんな気分になる。そういうのは一時的なデプレッションのようなものなので、たいていは時間が経てば消える。僕はコーヒーを飲みながらそれが去るのを待った。無言で台所の中にあるいろんなものに視線を配る。逆さにして置かれたグラス、赤と黒のコーヒーメイカー、窓枠の上に置かれた一輪挿し、冷蔵庫に貼られた書類やメモ、子供たちが食器棚の戸に貼り付けたたくさんのシール。壁のカレンダーの桜の木の写真、天井の壁紙の幾何学模様、それらは僕が時間をかけて築き上げた僕の家庭というものを構成する要素の一部である。突然僕は自分が虚構の世界の中にいるような気分になる。いや、虚構とまではいわなくても、ここにあるもののすべては本当は僕のものではないのではないか、僕ではない別の誰かのもので、そして僕は何かのはずみでここに運び込まれてしまった、いわば迷える存在なのではないか。そう思うと何もかもがどこかよそよそしく見えてくる。そうした違和感を抱くことは、とくに珍しいことでもないが、しかしそのとき僕を襲ったそれはこれまでよりずっと強力だった。ほとんど眩暈を起こしそうなほどだった。そして背中にはまだ黒い球体の重みが消えずに残っている。僕は背もたれに身体を預けて、目を閉じた。すると闇の中にちかちかと光るウニのような物体が浮かび、それは目を閉じた暗闇の中をふらふらと漂っていた。その軌道をたどっているうちに、頭の奥に眠気の萌芽のようなものを感じて、うとうととしていたら背後で物音がして、それは妻の足音だった。

目を開けたとき、妻はダイニングの入り口をちょうどくぐるところで、僕がそこにいることに気づいて彼女はちょっと驚いたような声をあげた。

もう起きてたん、と妻は言った。

あまり眠れなかったのだと僕が言うと、彼女はちょっと考えるような顔をして、眠れんことって、よくある?と言った。

まるで知り合ったばかりみたいなやりとりだったが、思い返してみれば確かにそういう話はしたことがなかった。僕が眠れない夜を過ごすとき、いつも妻は眠っていたので、彼女は僕が眠れないときのことを知らないはずだ。僕もそんなことは別に話さない。反対に、僕がぐっすりと眠りこんでいるときに妻が目を覚ましていたということも、おそらくあるのだろう。僕は彼女は一度眠ったら目を覚まさない人間だと思い込んでいるが、いつもそうだとは限らない。

ときどきね、と僕は答えた。

妻はテーブルの反対側の椅子に腰を下ろして溜息をつき、ああ疲れた、と言った。

僕は笑った。起きたばっかりなのに、もう疲れた?

起きたばかりは、身体が重くて、…疲れた感じなんよ

今日は僕が作るよ、何が食べたい?と言うと、妻はほとんど間髪入れずに「ホットケーキ」と答えた。それは大げさに言って少女のような言い方だった。それで僕は冷蔵庫から牛乳と卵を取り出し、棚からボウルを出した。卵と牛乳をかき混ぜていると階段のほうから小さな足音が聞こえた。


 

『いつも静かな場所』

おわり

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